もうすぐ見納め!仙石線205系①
(梅雨前の駆け込み撮影で更新滞ってましたが再開・・・)この秋にE131系投入にて205系置き換えが宣言されている仙石線。投入予定車両はすでに第一編成は製造を完了、そろそろ仙石線での試運転も視野に入ってきた頃となりました。↓

仙石線の205系は3100番台を名乗り、山手線と埼京線で走っていた205系の中間車改造が18編成用意されました(のちに遅れて1編成追加で最終19編成)。なので鶴見線や南武支線で走っていた205系とマスクは同じ感じですね。↓

仙石線デビューは2002年、ちょうど仙台市中心部の地下化工事が2000年春に完了していたのでグッドタイミングでの置き換えでした。そして2004年までにそれまで走っていた103系を順次置き換えました。↓

ただ種車は1980年代後半製造なので、製造からそろそろ40年近くとなり電装回りの老朽化がいっそう進んだのか、ここ2-3年は故障多発で車両繰りから運休する列車もでてきました。↓

故障で運転できないって某銚子の会社でもあるまいし、整備部門からは車両を早く変えてほしいという声は随分前から出ていたんでしょうね。↓

外装はステン地できれい、内装も転属時に更新してるんで、こうした地下化されたところなんかに205がいても違和感ないんですが、東京で酷使、潮風にも耐えて20年、震災も乗り越えよくがんばりました・・・そりゃ故障も増えるでしょうなあ。↓

更新計画ってもともとコロナ禍前に京浜東北線E233系をE235系に置き換え&玉突きにて、E233一部が仙石線転属って流れの計画だったんですが、大幅な収入減でこの投資計画は白紙に。↓

で、転属置き換えの中古車両がなくなったため急遽新造車投入に変更となった感じなんですが、まあ、沿線利用者にとっては新造車のほうが断然いいよなあ。これから40年近くは新車が入らないだろうけど、そんなのもうだいぶ先だし。↓

311震災は仙石線にも大きな打撃を与えました。特に野蒜駅周辺は4mの津波が押し寄せ、多くの方がなくなられました。ちょうど地震発生時野蒜駅で交換した列車が2本あり、東名~野蒜で止まったM9編成が大破も津波到達前に乗客乗員全員脱出(ただし避難先も津波にやられ1名なくなられた)。もう一方の編成はM16でしたがちょうど高台で止まり津波をクリア。止まった場所は奇跡の丘と名づけられてます。そしてこのM16編成は今も活躍しています。 ↓

大きな被災地となった野蒜周辺は復興時に線路も内陸へ移設。今は近代的な線路に変貌しています。ただ昔このあたりで写真を撮ってて地形を覚えていたので205引退って話が切羽詰まるまで行くことができなかったところ・・・野蒜駅も被災時のまま残されているんですが、まったく違った風景になっていて改めてショックでした。当時勤めてた会社の関連事業所が仙台港近くにあって状況確認のためヘリからの生映像を見ていたのでリアルに津波にから逃げきれずに飲み込まれていく何台もの車を目の当たりにして...いまだトラウマ級の記憶になってます。 ↓

全線復旧は震災から4年後。併せて東北本線経由で仙台と石巻を結ぶ「仙石東北ライン」を新設。これは仙石線松島海岸~高城町で東北本線と接する部分に短絡線を作って新たなハイブリッド気動車「HB-E210系」を相互乗り入れさせ、対象列車を快速運転することにより速達性をあげるというもの。 ↓

東北本線が交流、仙石線が直流で電車同士の乗り入れは高価な交直流電車が必要とあって、長年議論されてきたことだったんですが、震災後は新規気動車投入にてあっさり実現、ならもっと早くからやれよって感じでしたが。。。 ↓

仙台からロングシートで石巻まで快速でも1時間超だったんで、クロスシート車で終日ほぼ毎時運行となって仙台=石巻の移動はとても楽になりました。ただHB-E210って車内のディーゼル音がうるさいんで次期車両は改良してほしいな。。。ちなみにこの石巻駅での写真は震災前。実は震災の日って金曜日で週末併せて石巻港の日本製紙専用線の写真を撮りに行こうかなと画策してたんですが仕事の都合で行けなかった・・・行ってたらとんでもないことになってたんです。石巻もひどいことになってたんで・・・ ↓

ハイブリッド車が入ってからは特に仙石線東端部はすっかり雰囲気変わりました。かつては2両編成のヘンテコ105系も走っていたりした部分ですがフリークエンシーダイヤで近代的な列車が行き来する姿になりました。ただ以前のような形にまで復興するのはまだまだ先かな、この陸前小野駅周辺も津波で流されたところ。かつては大きな田んぼが周りを囲んでいたけど塩害残ってるのか営農者が被災したのか、放置された空き地がまだ広がっています。間接的にはなるだろうけどE131導入が新たな起爆剤になるといいけどなあ。。。つづく ↓
