終幕の旧京王5000系(3)-一畑電車②
一畑の車両更新って2段階で進んだんですが、現在は第一弾更新時の京王車が引退の時期ということなんですが、前回ご紹介の通り第一弾更新前はとんでも車両が跋扈してたんです。↓

こちら、西武から昭和30年代にやってきた70系、18m車両で小ぶりの電車ですがWW2時代の製造という、とんでもお古でした。西武時代はモハ200形って名乗っていたらしいけど、知らんでこんなんっていうくらいのレトロ車両。ま、このときでも南海が貴志川線で使ってた1201はもっと古かったけどね。↓

同じような顔つきの単行可能車両はデハ1形という、こちらは製造が昭和一桁車両。前述の西武のお古より古いんです。↓

晩年はデハ3と6が残り大社線専属みたいな使われ方していました。検査時以外は大社線に終日張り付く運用で、京王車や南海車が入ってきてからもしばらく運用に就いてました。↓

大社線では北松江線のダイヤの関係上折り返し時間を稼ぐために朝1本だけ走る急行がありました。↓

同じような時間に北松江線にも急行が走ってたので撮影はどっちにする?みたいなややこしいのがあったかなあ。。。↓

晩年は川跡での乗り換え客の誤乗車防止のため出雲大社前方向に行先板が取り付けられるようになりました。余計にいい味が出てよかったですね~↓

で、先述の西武に混じってよく似た顔のデハ20形ってのもいました。こいつはデハ1形を改造したグループで、両運転台もクハ100形という西武のお古の制御車と組んで2両ほぼ固定のような使われ方をしていました。デハのほうはWW2前の製造、クハはWW2中の製造ということで、古株とんでもコンビだったんですよね。↓

まあ、引退時点での稼働年月は50~60年くらいだったんで、南海時間くらいではあるんですが、その後の技術進化が大きいんでまあよく使ったよねぇって関心するレベルでもあったんです。↓

20+100と70のこの並びはよくあるばたでん風景でしたなあ。。。↓

そして古豪さんとしてはこちらのデハニ50形のほうが有名でしょうね、映画でも使われましたしデハニ53は電車の運転体験でも現役で使われてます。デハニ53とデハ52の2両が最後まで活躍しましたが、まだ車籍を残しているので本線走行もできるようです。ちなみに52のほうは出雲大社前駅に留置されています。↓

デハニの塗装は乗車ドアが自動化してない旧型の車両という区別のための塗装らしいんですが、どれも旧型車両だったんで、晩年はデハニ色みたいなカラーリングとなって特別感が出て現在も残る京王車の塗装や1000系に採用されてます。現役時代は平日ラッシュの3両運用時の増結によく使われてました。↓

3両時は基本20+100か70形と編成を組んでましたね、増結位置は適当だったのかな?3両編成として組んだらそのまましばらく使うって感じだったのかもしれません。なぜか朝の松江方面の急行には20m車が優先されてこの組み合わせの編成は急行に入らなったですね。↓

で、ラッシュ時の中心はこちらの西武から来た80系をメインにしてました。20m車両ということで、同じく西武から来た60系1両をくっつけて3両運転がありました。こちらは朝のみ運行だった松江温泉行急行。現在このスジにスーパーライナーが走ります。↓

80系は元西武451系、吊りかけの3ドア非冷房ではあるものの、当時のばたでんでは最新の電車で主力だったんです。↓

80系の増結は基本60系を使用。60系は2両いましたが今はすでに廃車解体されています。↓

80系と同じタイミングで西武から来たのがこの90系、1編成だけでしたが流線型がいい感じでした。元西武の551系で西武では多摩川線で晩年を過ごし、引退後は今の流鉄や三岐に譲渡されています。なんだか新101系と経歴も風貌も似てますね、こちらはばたでんには来なかったけどね。↓

これら旧型西武車も含め置換で入ってくるのが流線型の旧南海21000系だったりするので面白いんですが...↓

...ってちょっと長くなった・・・次回に南海21000系導入編だなあ。ちなみに大社線沿線にあるこの保育園保存車両、元デハ3と6、大社線で最後まで活躍した車両です。↓

線路わきに線路に並行に置かれているのでなんだが角度によってはまだ現役で走っているような感じになります。現在デハ6のほうは元の色に戻ってるみたいです。なお園内敷地に入る場合は許可を取ってトラブルなきようご注意の程(たいていの写真は敷地外から不自由なく撮影できます)。...つづく↓
