急行礼文も...-小湊×JR北コラボ?(5)

小湊の次のリクエストみたいな・・・キハ54-500の急行「礼文」忘れてない?ってことで、かつての宗谷本線急行列車の古いネガまさぐってたら礼文も出てきたのでご紹介の程。↓

(写真:北星、1995.7)

「礼文」は朝の旭川から稚内方面への速達列車として運転されていた急行。宗谷線急行の14系客車化の一環?で1986年に新製のキハ54-500の急行仕様車両を投入して一新、14系客車のテールヘッドマークに倣ったヘッドマーク掲載列車となります。↓

(写真:音威子府、1988.10)

旭川発着だった急行礼文ですが、札幌から稚内方面へ行くときは始発のホワイトアロー(もうないね)で旭川乗り換えにてこの礼文を使うと結構便利で、まりもや大雪の夜行でぐっすり眠って札幌着、つづいてホアイトアロー&礼文にて名寄本線&天北線を攻めるってなーんてやってました。この旭川駅も高架化して今や別物となってしまってますね。↓

(写真:旭川、1988.9)

このキハ、急行仕様ってのは座席が新幹線0系の転換クロスシートを使っていたこと。でも冷房はないよってやつでしたが新製車両ということでピカピカだった。だから当時はすごくお値打ち感があり、旭川始発とはいえ名寄までは結構混んでいた記憶があります。全席自由席でしたが、お客さんや旅行者とも隣同士になるほど混むから、長旅というのもあって割と知らない人同士でいろいろ話してた思い出があります。終着駅だったこの稚内駅も今はずいぶん変わってしまいましたが、かつては北の果ての終着駅って感じがとてもよかったです。↓

(写真:稚内、1988.9)

1988年秋にキハ400登場で急行天北や宗谷と合わせて礼文もヘッドマークを刷新、丸サボとなります。いやあ、このときはまだ天北線あったんだよなあ。ホーム中央の小屋みたいな中に音威子府そばの立ち食い屋もあったんですよ。今の音威子府からは全く想像できないですけどね。↓

(写真:音威子府、1989.3)

キハ54-500の製造ラスト3両の、車番527、528、529が急行仕様車として登場したわけですが、他と見分けがつくよう、側面窓上に赤帯が1本入ります。登場時は今のように先頭前面左上のガラス面への車番掲載はありませんでしたから帯色で判断できるようにしてたのかな。。↓

(写真:抜海~勇知、1996.7)

急行礼文用のキハ54-500は3両、うち2両が1運用に常時就くので予備1両というカツカツ運用をしていました。なのでキハ56が入ったりキハ54の普通列車仕様の車両が入ったりってのもありました。多客期は増結車両が遜色車確定って列車でもありました。↓

(写真:下沼~豊富、1991.8)

確か、礼文って、写真撮るより乗ってるほうが多かったなあ。。。だからあんまりいい写真がない。↓

(写真:兜沼~勇知、1989.10)

昔の盆正月は増結で4両編成ってのもあって、キハ54-500×4両にて前後にもちゃんとヘッドマークつくってのがあったらしい。急行大雪の臨時にも駆り出され大雪ヘッドマークも装着したこともあったらしくて、収めてたらなあ・・・↓

(写真:抜海~勇知、1996.7)

・・・と今となってはちょっぴり後悔って感じではありますが、当時は今みたいに宗谷本線自体が廃止の危機なんて話題にすらなりませんでしたから優先度も低くて。↓

(写真:上雄信内~雄信内、1999.4)

廃線の話まで出てきてる宗谷本線も、これまでいろんな努力をしてきてるんですよね。抜海の峠越え付近で利尻富士が見えるピカ一車窓の区間にこんなサロベツトロッコ号なんてのも走らせて集客頑張ってたんですよ。今やこの抜海駅も交換設備は撤去、廃駅間近なんてことになってますが寂しい限り。本当に沿線がさびれてるし、鉄道旅行者自体も本当に減っちゃった。下手したら客が乗りテツだけって列車もあるようで・・・。高校生(朝夕学校日のみ)チョロチョロ+高齢者1~2名+乗り鉄数名、特に宗谷北線普通列車の顧客構成こんなのだから。↓

(写真:抜海、2000.8)

それでも活性化には力を抜かず、ここんとこ常連臨時になりつつある「花たびそうや号」を走らせてます。まあ、利益面からは焼け石に水だけど、何もしなければ旅行者も動かないわけで、こんなちょっとしたことでも効果はあるんですよね。これ、コスト重視でみたら間違うヤツの典型だね。2024年はキハ40/54の組み合わせとなり、かつ宗谷急行色車両もはいったことから妙に懐かしい風景になりました。昔のデカ丸サボを使っての運行がいい演出になってます。↓

(写真:南稚内、2024.6)

この花たびそうや、途中駅で地元自治体のおもてなしを受けるという、コンセプトは面白いんですが、今回はテツ色が濃くてちょっと観光列車という感じから外れる?印象もありました。(が、実績はどうだったのかな、)ま、途中停車駅では結構盛り上がってましたから来年もなんとか運行されそう。ヨンマル使うかはわからんけどキハ54×4とかになっても昔の礼文みたいに旅情あるかもね、定年前のおっさんどもにもっと「旅情」を売りにしたらいいのにと思うんだけどね、(プランに駅寝も入れたら面白んだけど。。。)↓

(写真:名寄高校~風連、2024.6)

今回は4両のうち稚内側は「北海道の恵み」シリーズの流氷ちゃん。内装を850万円でリフォームしたという節約観光車両でほぼヨンマルという車両でしたが、キハ54に簡易クロスシートが入ってるんでなんとか急行の体を表してたかな、でも快適移動を目的とした乗客じゃないから遜色でもOKでしょ。↓

(写真:南稚内、2024.6)

運転が春先なのはキハ40も54も冷房がないから?昨今の夏場では運転できないんでしょうね、秋は落ち葉の空転があるからやらない?4往復くらい設定したらいいのにと思うけどなあ。↓

(写真:音威子府~筬島、2024.6)

ヨンマルは来春定期運用から撤退となりますが臨時ではヨンマルが少し残るようで、花たびでもこのスタイルは再来年くらいまでやってくれるかもしれません。↓

(写真:下沼~豊富、2024.6)

・・・おっと、ガチ宗谷本線のお話なっちゃった。。。で、小湊さんの観光急行懐かしのヘッドマークシリーズ、急行気動車にこだわらなければこの「はまなす」もありますよ。↓

(写真:津軽宮田~油川、2013.5)

快速丸サボならこの「ミッドナイト」。ボロボロのキハ27/53でしたが座席撤去にてカーペット敷き車両が意外にも快適でした。高速バスに負けて数年でいなくなっちゃったけど。あと海峡号も最初は機関車に丸サボついてたな。↓

(写真:七飯~大中山、1996.7)

快速なよろも登場時は丸サボヘッドマークつけてもらってたんですよね~、でも知らないうちになくなった。丸サボじゃないけど特快きたみにもつけてたなあ。四角ヘッドマークなら快速ぬさまいもあったし、しれとこ、ノサップ、はなさき は最後のほうまでがんばってたけど、みんな知らないうちになくなっちゃった。過去の写真を並べると今の劣化具合がよくわかるけど、学生時代に通った地域に行けばもっと寂れ感がわかるんだよなあ・・・この状況でよく路線維持してるわってくらいになってるから。・・・あれれ、また北海道鉄道話になっちゃった。小湊さん、ネタ切れになったら礼文やはまなすなんかも入れてくださいね。以上、小湊×JR北コラボのお話でした。↓

(写真:北比布~蘭留、1993.6)

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