急行宗谷-小湊×JR北コラボ(4)

9月でおわっちゃった小湊鐡道のイベントの振り返り。これ、里山トロッコ故障で観光急行を代走させている、その車両に往年の北海道を走った懐かしの急行ヘッドマークを掲げるというもの。カラーリングは違うも車種はキハ40(正確にはJR北の急行はキハ400となっていたけど)ということと沿線が鄙びた田園ということでかつてを知る人にとってはかなりテンションハイになった企画でした。↓

(写真:上総牛久、2024.9)

5月からスタート、6月まで急行「天北」、7月は「利尻」、8月「サロベツ」ときて、9月が急行「宗谷」。かつて稚内行き夜行急行利尻の朝折り返しの札幌行きがこの急行宗谷だったんです。↓

(写真:豊清水、1994.7)

宗谷も晩年の急行天北同様、14系客車時代がありました。今だと全く想像できないですよね。↓

(写真:南稚内~抜海、1988.10)

客車時代は札幌~旭川はEL牽引、旭川以北はDLという組み合わせ。機関車側のヘッドマークはなく、客車エンドのテールで列車名をアピールしてました。当時は旅行者にとっては客車ってちょっと贅沢感があってうれしかったものです。↓

(写真:名寄、1988.10)

キハ400化については前回のとおり。スピードがかなり上がりより快適に。↓

(写真:筬島~音威子府、1989.3)

とはいえ、動物衝突もあったりするとすぐに必要編成がなくなるのは今も同じ、こうした遜色編成もちらほらでしたが・・・↓

(写真:抜海~南稚内、1996.7)

キハ56って冷房ないしカチカチボックスシートだからキハ400との内装差がえぐいくらいなんですが・・・まあ、旅行者にとっては旅情があっていかもしれませんが札幌~稚内乗りとおしだとへとへとになるんだろうなあ。↓

(写真:南稚内~抜海、1989.10)

あまりに車両不足だからキハ183も組み込んだけどそれでも遜色列車は走るってことで・・・↓

(写真:音威子府~筬島、1999.5)

閑散期は3両が基本編成だったと思うんで、多客期増結で苦しんでたのかな。↓

(写真:北星~智東、1995.7)

増結編成にお座敷までつけてる時がありましたが中はどうなってるんだろう、ごろ寝とか出来たら結構うれしいな。写真のは「臨時」表示があるからこの2両だけ貸し切りにしてたんでしょうけど。↓

(写真:豊清水、1994.7)

夜行急行の利尻はよく利用しましたがこちらの昼行急行宗谷は写真撮る被写体になっちゃうんで利用は少なかったかな。↓

(写真:南稚内~抜海、1996.7)

今も変わらない利尻岳バックの撮影ポイント。抜海俯瞰は撮れなくなりましたがこちらはまだまだ大丈夫。↓

(写真:兜沼~芦川、1999.4)

塩狩峠周辺は木々が成長したりして気楽に撮影できる場所は駅構内と蘭留近くの跨線橋くらいになりました。。。↓

(写真:塩狩~蘭留、1999.4)

こちらもバック遠くが地上時代の旭川駅。ちらっと映ってるエスタはもうなくなりました。↓

(写真:旭川~旭川四条、2000.2)

さてさて小湊の企画に話を戻して・・・意外にも急行サボはJR東色のヨンマルでも似合うんですよねぇ。↓

(写真:五井、2024.9)

かつての稚内駅の一コマ・・・なーんて言ってもこれありかも?って風景がまだあるってのもすごいんだけどね。↓

(写真:五井、2024.9)

これ、この9月の写真だからなあ・・・↓

(写真:五井、2024.9)

最初は2両編成から始まった里山急行JR北キャンペーンも半ばから1両に。乗務員や整備士不足が効いてるんでしょうか、難しい世の中になったものです。↓

(写真:上総川間、2024.9)

こんなに似合うなら来春で引退するJR北のヨンマルも何両かもらえばいいかも。↓

(写真:上総鶴舞~上総久保、2024.9)

まあ、なかなか楽しかったイベントでしたが・・・↓

(写真:上総鶴舞~上総久保、2024.9)

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(写真:海士有木、2024.9)

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(写真:上総川間、2024.9)

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(写真:月崎~上総大久保、2024.9)

・・・次回のイベント乞うご期待かな・・・以上、小湊&JR北コラボでした。↓

(写真:海士有木~上総村上、2024.9)