気が付けばあと3編成、阿武隈急行8100系

1988年の全線電化で導入された阿武隈急行8100系、登場時JR/国鉄以外での初の交流電車として話題になりました。電化についてはコストを考えると非電化でもよかったんですが、東北本線の代替路線として、またJRからの恒常的な乗り入れも考えての判断でした。 ↓

(写真:瀬上~向瀬上、2021.10)

...ただ開業から30年経つとこの判断がかなりの重荷になってしまいました。 ↓

(写真:富野~やながわ希望の森公園前、2021.10)

もともと会社設立は1984年、当時国鉄赤字問題で止まっていた国鉄丸森線の福島までの延長工事を引き受けるべく作られた三セクで、開業時はまだ力があった福島交通が過半の株を持つという、福島交通の仙台エリア進出の野心も少なからずあったんですよね。 ↓

(写真:兜~富野、2021.10)

だから福島駅は福島交通飯坂線の福島駅と供用してたりもするんです。ま、過去のいきさつがあってのことなんですが、今は過半の株式は3割を県などへ譲渡し負担を下げてもらってる状態。でも、阿武急って売上6億で営業利益△4億っていう大赤字の会社。公共企業とはいえ民間企業が20%株主なんで、かなり負担となっていることでしょう。まあ、今や福島交通自体がすでに政府系ファンドの傘下になってしまってるんで、事実上の公共団体。株主構成は単なる自治体の予算配分みたいな意味になってますがね。 ↓

(写真:福島、2017.4)

国鉄末期には丸森線として部分開業していた現 阿武急、でもかなり街はずれの駅で利用者は伸びず、現在もそういう状況なのかな。 ↓

(写真:丸森、1985.3)

ダイヤ上は列車交換をする主要駅っぽいですが、さびれたまま・・・このあたりに阿武急の顧客マーケットの苦しさが現れています。 ↓

(写真:丸森、2021.10)

特に富野以北、宮城県側がちょっとしんどくて、県境あたりは山岳地で人家もまばら、かつ、境界を超えた鉄道移動ニーズもほぼないようで・・・ ↓

(写真:丸森~あぶくま、2002.11)

いろんな直通ニーズも作ろうとしてますが・・・ ↓

(写真:南角田~北丸森、2002.11)

もともと県境越えニーズがないからお客が増えるわけもなく。代替路線とはいえ、仙台~福島の移動は新幹線利用にもなるから通しで乗る人もテツか旅行者くらいなのかな、運賃も割高になるしね。 ↓

(写真:あぶくま~丸森、2002.11)

2011年の震災、そして最近は気象の劇症化というか、災害級の大雨が増え、地形の険しい県境部分の富野~丸森で災害が多発するという追い打ちをかけるような状況に。2019年の被災時には被害箇所が多く、規模も大きかったので、復旧をあきらめてバス転換する話まで出てました。 ↓

(写真:丸森~あぶくま、2002.11)

でも実態からすれば梁川以北は公共交通としての鉄道は重すぎで、少子高齢化も影響しどこかで存廃を考えないといけない状態なんですよね、震災復興ということもあってこの話はいまだ沿線自治体ではタブーみたいなんですが、交流電化施設や車両の維持もかなりのコスト。JR直通の意義もなくなった今、どこかで決断しないといけないときが来るんです。 ↓

(写真:兜~富野、2013.4)

まあ、ついてない会社というか、一昨年春の地震でも線路や施設の被害が結構大きかったし、ほんと、立て続けの自然災害で頻繁に金が出ていくのもちょっとかわいそうでもあるんですが・・・戦後建設の高規格路線なのに被害にあうって、災害クラスがデカすぎるんだよなあ・・・親会社の福島交通は事実上の倒産だったし、この15年くらいは踏んだり蹴ったりだったがね。 ↓

(写真:大泉~二井田、2021.10)

とにかく梁川以北の存廃問題は近い将来避けては通れないかな。ただ梁川以南はもともと福島交通の軌道線が走っていたようなところ。電車廃止で困った歴史があったからこそ阿武急を開業させた思いがあるんで簡単にはなくならないだろう。当時の電車もきれいに保存してるくらいだから思い入れがちょっと違う。最終的には三セク経営から宮城県が撤退して少なくとも富田以北はおしまいってなるんでしょうが福島県内からなくなることはないかな、飯坂線含めガッチリ固めちゃえ! ↓

(写真:保原中央交流館、2021.10)

はてさて、えらく話がそれちゃいましたが、8100系の話に戻ってと・・・ ↓

(写真:二井田~新田、2021.10)

丸森線の三セク化は1986年と国鉄民営化前。まだ電化と全線開業してなかったので旧丸森線内のみをキハ22を借りての運行をしてたんです。古い写真をまさぐりましたがさすがに非電化時代の阿武急写真はありませんでしたが社章風デザインの不思議塗装を纏ってました。暫定開業的な引継ぎにて1988年に全線電化開業となり、そのときから8100系が走っています。 ↓

(写真:二井田~大泉、2021.10)

この8100系の設計ベースになったのは九州を走る713系らしいんですが、外観はあんまり似てませんね、2ドア交流2段サッシ窓ってことで大枠の車体設計なんかが共通なのかな? ↓

(写真:西都城、2022.4)

ただ2ドアとはいえ、ワンマン運転を想定、運賃収集を運転席近くにするため、ドア位置がかなり違うところになってます。 ↓

(写真:やながわ希望の森公園前~梁川、2013.4)

で、電装品やらの部品類はこの719系と共通らしい。同じような時期に作ったからなのかな。でも719はすでに仙台エリアから撤退。まだ新しいイメージがあるんですが、乗降口のステップがバリアフリー化の妨げになったことから車両更新の延命をせずE721系に置き換えたんです。 ↓

(写真:大河原~船岡、2013.4)

これと同じ理由でステップがある阿武急の8100系も大規模更新せず新車導入となったわけ。で、コスト抑制のためE721系ほぼ一緒のAB900系が登場。2018年から置き換えが始まりこの2月に7編成揃い、あと2編成で計画完了というところまできました。1日2本ある仙台直通列車は優先的にAB900が使われてましたが、阿武急の全運用は8運用、7編成あるんで6運用に就くという状況となりJR乗り入れの8100系はほぼなくなりました。 ↓

(写真:名取~南仙台、2021.8)

ちなみにこのE721顔はこちらのE721の0番台(前の2両)・・・ ↓

(写真:名取~南仙台、2013.4)

仙台空港鉄道乗り入れ用の500番台・・・ ↓

(写真:名取~南仙台、2013.4)

719置き換え用の1000番台・・・ ↓

(写真:名取~南仙台、2013.4)

仙台空港鉄道のSAT721系・・・ ↓

(写真:名取~南仙台、2013.4)

青い森鉄道の703系(写真左)と外観ほぼ同じの色違い親戚があちこちに。 ↓

(写真:八戸、2018.2)

直流だと新潟エリアのE129がおんなじ顔ですね、しな鉄のSR1もそうかな。 ↓

(写真:白山~新潟、2019.9)

今の阿武急ではAB900が主力になった感じで、8100系は残すところ3編成のみとなってます。 ↓

(写真:やながわ希望の森公園前~梁川、2021.10)

阿武急の車両運用は2両9編成を8運用で回すというもの。平日朝ラッシュ時には2+2の4両編成が入ります。8100+AB900ってやってないよう。ただAB900は7運用予備0のフル,8100は1運用予備2とのこと、移行期間ということで予備2として計8運用10編成で回してるんでしょうけど運用組みから考察するに8100の4連は見ることができないですね。ただAB900にトラブルがあれば見れるかもしれません。 ↓

(写真:新田~二井田、2021.10)

残る3編成はA-11、A-15、A-17ですが、登場時同じタイミングで入ってきてるんでそれぞれの差はありません。登場時と変わったのは行先方向幕のLED化くらいでしょうか。 ↓

(写真:瀬上~向瀬上、2021.10)

撮影ポイントとしては全線踏切レスの立体交差となっており意外と少ないんですが、大泉~富野には多数跨線橋がありますからお好きなところでという感じでしょうか。 ↓

(写真:二井田~大泉、2002.11)

最近線路脇を除草してくれないのでサイド寄りで撮るのは難しいんですが春先にいけばなんとかなるのかな。 ↓

(写真:二井田~大泉、2021.10)

センターポールが気にならなければ飯坂線美術館図書館前あたりで飯坂線もいっしょに撮影も可能。このあたりは阿武急とJRが線路を供用しているのでJR車両も撮影可能。ただ画角が難しいからベストコンディションの場所ではないけど。 ↓

(写真:卸町~福島、2017.5)

梁川の広瀬川鉄橋も2両編成だとお手軽ポイント。ちなみに写真のラッピング車はすでに引退しています。 ↓

(写真:やながわ希望の森公園前~梁川、2021.10)

・・てなことで、最後のAB900の導入は来春かな。2編成入って8100は定期運用離脱、来秋あたりでサヨナラ運転って感じになると思われます。まだ時間がありますからゆっくりでいいのかな。 ↓

(写真:梁川~やながわ希望の森公園前、2021.10)

そうそう、やながわ希望の森公園前駅裏手から発着する希望の森公園の遊戯鉄道、実は本格的なSLなんですよ。762mmの軌間、石炭火力の蒸気駆動、両端部には転車台が設置というかなりマニアックなもの。愛知のこどもの国ほどの規模ではありませんが本気度が半端ない。春~秋の土日運行となりますがぜひお立ち寄りの程。 ↓

(写真:西口~東口、2013.4)