さよなら釧網の40(ヨンマル)&54②
すでにH100化された釧網本線ですが、かつての懐かし風景もご一緒に・・・まずはキハ22が現役だったころ・・・キハ54が投入されましたがまだまだキハ22が重用されていたのはもう35年ほど前。 ↓
キハ40の登板能力が足りなかったのか、キハ22が必ずお供するって感じだったかな。 ↓
この有名な細岡俯瞰と呼ばれるお立ち台は今はかなり狭くなったようで、かつ、隣接する民家とのプライバシー問題もあるようでちょっと近寄れないでいます(ネットでは写真が上がってるのでまだ撮影可能のようですが) ↓
当時はキハ56もバリバリ運用。この訪問時はなくなってましたが、キハ40と56混ぜた遜色急行が今は亡き標津線に乗り入れてましたね。標津線に乗るにはその遜色急行に乗らないと便利に行けないとあって、廃止の話題が出てたもすでに中標津住民の心から鉄路が消え失せてました。 ↓
まあ、急行料金払わなければキハ22でも快適でしたけどね・・・ ↓
続いて貨物列車。中斜里のホクレンへの石灰石&コンテナ+石油、網走(たぶん)への石油の2系統の運行があったんですが・・・ ↓
先に網走行きが廃止となり、ホクレン向けがしばらく頑張ります。 ↓
中斜里のホクレン向けはトキが東鹿越で積み込む石灰石、コンテナはホクレンから出荷するグラニュ糖。石灰石は製糖過程で使われるもので、確かこのトキコキ組み合わせは月水金運行だったかな。。。 ↓
そして火木運行が製糖で使う重油の輸送・・・だったかな。今にして思えばとっても贅沢な列車だったんですね。 ↓
続いてノロッコ。初代は旧型客車を使った珍ドコ列車だったんです。オハフ51+スハフ42+トラ+ヨという、今だとありえへん組み合わせ。それに編成全部を白基調にしてしまい、なんか即席感の漂う、とっても不器用なデザインに・・・ちゃんとデザイナー使おうって考えたりしなかったんだろうなあ・・・とても無骨な列車でしたが・・・ ↓
1998年夏からは新生ノロッコ号が運用に就きます。51型客車を改造し、塗装も緑基調となって観光列車らしくなりました。 ↓
ノロッコ号は夏シーズンに主に釧路~塘路で運行されてましたが、流氷シーズンには流氷ノロッコ号として網走~知床斜里で運行されてました。 ↓
人気はあったんですが老朽化対策として2016年に廃止。 ↓
確かトイレの抜き取り装置やら車両整備の関係で何日か運転したら釧路へ戻さなければならなかったようで、往復の回送にかかる運行コストと走行距離に問題があったみたい。来年度にはノロッコ号自体も廃止となり、新しい観光列車に置き換わる予定。 ↓
他にも観光に力を入れようといろんな列車走らせてたんですよ。こちらは2000年夏に登場した原生花園スタンディングトレイン。花が開花するタイミングでのトロッコ列車なのかな?夏場はノロッコ編成が釧路湿原側でフル稼働となるため、新たに用意された観光列車だったんです。 ↓
キハ40+ヨという安上がりな立ち席トロッコという発想で、かつ網走~知床斜里を普通列車として運行してたんですが、テツ受けはよかったも、観光客はそんなに多く乗ってなかった印象が・・・ ↓
さらに車両整備のため毎日運行だったのにもかかわらず週に2回釧路へ戻らなきゃならなかったようで、野上峠を越えられないキハ40のため、釧路往復時はこうしてDLが牽引するというトンデモ列車に・・・結果、超採算度外視列車となってしまいました。 ↓
翌年からはDL牽引をなくすべく、キハ40→54に変更、ワムを改造したハテというオープンカーを連結して再出発。 ↓
認知度もあがったからか、旅行者には人気だったようですが団体客が来るわけでもなく(キャパないし)・・・ ↓
・・・2003年夏の運行で廃止となりました。コンセプトは悪くなかったけど花がなきゃオープンデッキでただ海を眺めてだけってのがいまいちな結果となったんだろうなあ。 ↓
ジョイフルトレインも結構突っ込んでましたが・・・今や存廃に至る結論となってしまいました。SLとノロッコが撤退したら斜陽化がさらに進みそうで・・・なんとも言い難いさみしい気持ちになります。こうしたところからも国の衰退が感じ取れるのも恐ろしいものです。 ↓