さよなら奥出雲おろち号

この11/23祝日、長年木次線を走り続けてきた観光列車「奥出雲おろち」号のラストランとなります。DE10or15+客車2両という特異な編成で有名なスイッチバックを進む姿はかなりのレア風景でしたが、機関車や客車の老朽化ということですでに2年前に2023年度での運行終了を発表。異例の早期アナウンスのおかげ?で駆け込み乗車が増え、最近は転売ヤーによる指定券の買占め&価格つり上げが問題になるくらいの人気となりました。 ↓

(写真:出雲坂根、2021.9)

運行開始が1998年春、今年で26年目というから四半世紀も運行される名物列車でもあったわけですね。 ↓

(写真:出雲坂根~八川、1998.11)

牽引機関車はDE10-1161とDE15-2558のおろち号塗装の専用機が担当。DE15は冬季ラッセル車に入ることもあってラッセルヘッドアダプタがついたままでしたが、列車廃止発表のタイミングで一足早く引退しています。 ↓

(写真:出雲坂根、1998.5)

このおろち号、運行は春~秋の休日と夏休み期間という、ザ・観光列車という設定。さらに木次線の末端部での運行ということで持続的な集客ができるのかって問題がありましたが、ふたを開ければ人気列車に。乗車区間の乗車券に加え、単なる指定券のみで乗れるという破格の料金設定だったこともあるのと、奥出雲の観光スポットとして一部ツアーに組み込まれたりしたことも功を奏したようです。 ↓

(写真:油木~三井野原、2014.9)

客車は先頭車となる1号車が12系客車改造のトロッコタイプセミオープンカー、2号車が12系客車の座席をリクライニングシートに改造した2両なんですが、指定券は1両分の64席のみの販売。これはトロッコ車両はあくまでロビーみたいな考え方で2号車1両のみが旅客対象って考え方だったみたい。なので割と即完売になる列車でもあったんです。廃止発表後は指定券取得が結構大変になったみたい。 ↓

(写真:出雲坂根~三井野原、1998.5)

運行区間の基本は木次~備後落合なんですがハイシーズン中は宍道や出雲市までの延長運転もありました。臨時や団臨で三次や広島まで運転されたこともありましたが、乗車区間が長くなりすぎるんで季節運転化まではたどり着けなかったのでしょう。 ↓

(写真:油木~備後落合、2014.9)

まあ、地図で見ればわかりますが、運行区間ってかなり辺鄙な場所。それでも集客できたのは勾配対策のスイッチバックが体験できるってのが大きいんですよね~、乗り物好きなら一度は体験したいってなるでしょう。今や現役かつ旅客扱いしてる路線はここ木次線、肥薩線(運休中)、豊肥本線くらい? 箱根登山鉄道もそうかな、行き止まり駅のスイッチバックはまだまだあるけど、路線途上にあるのはめずらしいんです。 ↓

(写真:出雲坂根、1998.5)

いまや木次線は存亡の危機となるくらいの超閑散路線ですが、昔は陰陽連絡の準幹線だったんですよね。これ、米子と広島を結んだ急行ちどり。夜行まで走ってたというから今の凋落ぶりからは想像できませんね。高速バスに対抗して国鉄が立ち上げた列車だったんですが、結局高速バスに破れ撤退するんです。まあキハ28メインの遜色優等列車かつクネクネ山岳路線走行ってので敗北要因はいくつもあったわけですが・・・ ↓

(写真:出雲坂根、1990.3)

まあ、準幹線とはいえ、国鉄時代末期でも旅客自体は輸送人員2000人に到達できない赤字路線だったし、出雲横田以南はもともと人が住んでない地域というのもあり、普通列車の設定は極端に少なかったですね。民営化後もキハ23なんかのお古をちょっと不思議なイラスト入り木次線カラーにした単行が走ってましたしね。 ↓

(写真:出雲坂根、1990.3)

これ、おろち号が走る8年前の出雲坂根ですが今も雰囲気変わりませんね。スイッチバックでの停車時間に延命水って名水を飲むってのが木次線鉄道旅行のあるあるでしたが、おろち号運行に伴って駅舎が建て替えられて延命水の場所も変わってしまい、昔のままなのは線路構造とホームだけとなってます。まあ駅舎周りはザ・作りました的な感じでないので風情ありますが。 ↓

(写真:出雲坂根、1990.3)

急行がなくなってかなりさびれた出雲坂根もおろち号が運行されるようになると活況を帯びるように・・・とはいえ、人はほとんど周辺に住んでないので集まる人はみんな観光客とその相手をする商売人という感じかな。 ↓

(写真:出雲坂根、1998.5)

このおろち号で木次線活性化って感じにはなりましたが、鉄道営業的には1日数人の利用だったところが指定席分64名プラスになるって感じで実は焼け石に水。しかも64名のためにDL+客車2両ってかなりの太っ腹運行だったんで、採算的には運行するほど追加赤字になるってものだったんでしょうね。 ↓

(写真:出雲坂根~三井野原、1998.5)

それでも運行が26年続いたって、沿線自治体の鉄道愛あっての話でしょうね。特に出雲横田以南は冬季積雪したら運休にしてお客さんをタクシーで運ぶ方がコストがかからないっていうくらいの路線なんで廃止確約されているようなところなのにほんとよく頑張ったものです。まあ、さすがにJR西ももう無理ってことでおろち号運行区間の廃止も検討を始めているようですが、さあどうなるかな。 ↓

(写真:出雲三成、1998.5)

特に出雲横田~備後落合って集落が極端に小さくなって県境跨ぎの移動ニーズもないということで、存続はかなり厳しいものとなってますね。キハ120に人がたくさん載るのは18きっぷが使える時期だけなんですよね~、18きっぷ乗車って営業成績にならないからなあ。きっぷ発売期間外でも乗ってる人は大半がテツですから、もう完全な動態保存鉄道になってます。保存鉄道としては距離が長すぎるんで、残すとしても出雲坂根から県境までの区間だけかな。 ↓

(写真:油木~備後落合、1998.5)

おろち号も本当は木次線区間廃止のタイミングまでの運行ってことにしたかったんだろうけど路線のほうが残っちゃって車両が先にダメになっちゃった。 ↓

(写真:備後落合~油木、2014.9)

今や木次線って木次以北であっても混雑は少なくなりバスで十分な状況。大半の利用者である高校生も定期代が安いから鉄道を使うのであって本当の経済的視点で見れば運行してるほうがおかしいくらい。さらに出雲横田以南となればいっそそうなっちゃう。通学ニーズはゼロだし。 ↓

(写真:油木~三井野原、1998.11)

それでもおろち号を運行させ、後継観光列車も設定させるという、沿線自治体の力はすごいなあと思う次第。 ↓

(写真:三井野原~出雲坂根、2021.9)

一方で山を越えた芸備線の問題は沿線自治体の対応はかなり恥ずかしい内容。JR西もよく付き合うわって思います。並行する国道に車も走らないんだし、高校卒業したら鉄道なんて乗らない、そんな地域で永続的な経営はできんわな。破滅的な備後庄原~備後神代はもう存続の手がないけど、三次~備後庄原も福塩線非電化部分合わせ、高校生のスクールバスみたいな存在だから、持続的な経営はこの先できんやろうなあ。広島県側は民度が低いってことなんだろうか、過疎地域に無料の高速道路を作ってもらってあと何がいるねんって感じで・・・駅舎なんかの箱もの整備だけはしっかりするんだけどねぇ。 ↓

(写真:三井野原~出雲坂根、2021.9)

とはいっても木次線も安泰ではないんですよね。木次以北であっても輸送人員からしたらいつ廃止してもおかしくないレベル。敷設時の政治圧力でひん曲がった路線も速達性で影響してるんですよねぇ。てなことで、おろち号後任の新観光列車の活況具合で廃止論が全面に出てくる可能性があるんです。ここ木次駅はちいさな車両区のような感じがキープされ懐かしさあふれるところ、ネタとなる資産はいろいろある。これらを使って観光客をさらにどう集められるか、沿線人口が減っているため重要なポイントとなります。ここはいすみ鉄道モデルが使えそう。スイッチバックが残るなら他県からの呼び込みも可能性あるし。 ↓

(写真:木次、2022.5)

木次線色をまとったキハ120もタラコへ塗装簡素化。これはこれでいいかもしれないけど、木次線としての特色をもう少し出した方がいいですよね。ってことで、今春からは公募デザインのラッピング車なども走り出しましたが、ポストおろち号となるかどうか・・・ ↓

(写真:下久野~出雲八代、2022.5)

ま、木次線存廃問題はさておき、ラストランまであと1週間と迫る奥出雲おろち号。四半世紀を走りぬいた名物列車は最後まで愛された幸せ者でした・・・本当にお疲れさまでした。 ↓

(写真:備後落合~油木、2014.9)