潮目を迎えた南海2200系

この8月、銚子電鉄へ南海2200系譲渡のニュースが飛び込んできてびっくりした方も多かったのではないでしょうか。譲渡されたのはこちらの2202F。ちなみに撮影場所の高師浜駅は現在高架化工事に伴って閉鎖中。 ↓

(写真:高師浜、2011.3)

2200系って、もと高野山大運転用だった22000系が種車。流線形の21000系といっしょに活躍してました。昔の高野線ってこんなイメージだったんですがもう40年前なんですね・・・でも頭の中は今でも緑の南海電車だったりする。。。 ↓

(写真:極楽橋、1983.4)

緑の22000系が走っていた時は高野線複線化が三日市町までだったのかな?三日市町から先は4両運行になるので、難波からの8両とか6両編成は三日市町で切り離しをしてました。三日市町の引き上げ線はラッシュが終わるとパンパンに膨れ上がってました。千代田への回送待ちも入ってたのかな。まだこのときは美加の台駅が開業してませんでした。 ↓

(写真:三日市町~加賀田(信)、1983.4)

ここは単線時代の千早口近く。当時は千早口~御幸辻の複線化が先行していたんですが、林間田園都市駅に20m車(実際は21mだけど一般的な大型車=20m車という概念で)がなかなか入れなくて、新興住宅地の開発途上とはいえ、17m車の4両だけで捌いていた時代。朝ラッシュはかなりしんどくて、特に三日市町から増結されるとはいえ、難波までの急行が6両(1~2本だけ8両があったと思うけど)2ドア車というのもあって超混雑のクソ急行だったんです。22000は2両編成のセットだけだったので2+2だと中間の運転台分のスペースが減るし、21000:4+2でも同じでとにかく人が載せれなかった。 ↓

(写真:加賀田(信)~千早口、1983.6)

で、1990年から大運転主力の21000系を2000系へ置き換えるプロジェクトがスタート。しかしここで躓く2000系黒歴史1回目、22000系を温存し併結&協調運転を考えていたらしいんですが、22000+2000だと故障が相次ぎラッシュ時に大混乱するという事態に。やむを得ず登場が1969年と当時そこまで古くない(南海時間で)22000も一気に2000系へ置き換えるという英断を下します。そして大運転はすべて2000系へ統一されます。 ↓

(写真:新今宮~今宮戎、2019.8)

もちろん関西企業である南海は転んでもタダでは起きない。引退にもったいない感があった22000系は老朽化が進んでいた支線用車両の置き換えに使うことを決めます。まずは南海本線系列の1521系。1959年登場と21000系と御年同じのお古でしたが、1521系には種車がいたからほんとはとんでもない古豪さんだったんです。現役時代は釣りかけモーターがガンガンうなって古さ全開の扇風車で不人気車両でしたね。1521系は主に天王寺支線、高師浜線、多奈川線、加太線、和歌山港線で活躍。のちに汐見橋線にも使われます。 ↓

(写真:水軒、1985.6)

貴志川線(現 和歌山電鐵)にはさらに古豪の1201形が走ってました。なんと誕生は戦前という年代物。平成に入る時代で半鋼製車両を常用していたという時代遅れ感も南海らしいというか・・・水間鉄道で活躍していた譲渡車は一足早く引退してたんで、とにかく壊れるまで使うってのが南海の社風なんでしょう。そう考えると22000系置き換えの話ってかなりの英断だったんだろうなあ。 ↓

(写真:山東~大池遊園、1994.1)

ちなみに21000系は17m車ということで旧型車両対策で困っていた一畑に大量譲渡されます。ただその後故障が多くなり暫定使用的な存在になってしました。カラーリングもバタデンカラーになりましたがこれはこれでよかったですね、引退前は南海色の復刻塗装もしてくれました。 ↓

(写真:一畑口、2014.9)

で、元21000系、現在もまだ大井川鉄道で活躍しています。南海時代のカラーに懐かしの丸サボつけてくれる、粋な扱い受けております。いやあ、懐かしいですなあ・・・一方で鉄道本体は災害復旧できず今後の被災や少子化を鑑み何やら全線廃止の話が出てきてます~生活路線としてはすでに終わってるので廃止は十分にあり得る話なんですよね・・・ちょっと心配。 ↓

(写真:大和田~家山、2020.8)

で、本題の2200系にやっと入ります~ 22000系から支線用にワンマン改造された車両は新たに2200系を名乗るようになります。この2200系には3タイプあって、継続利用を目論んで修繕をした2200系オリジナル、支線転属を前提として貫通路ホロ止めなどを撤去した2230系、貴志川線転属用として貫通路を塞いだ2270系。こちら、原型を保ってる2200系オリジナルの2201F。 ↓

(写真:伽羅橋~羽衣、2017.12)

支線での限定運用とはいえ、どの支線に入るかはランダム。こちらは多奈川線に入ったときの2201F。ま、方向幕以外は何の変哲もない。多奈川線に入るときは羽倉崎から早朝回送され最終便も回送となって羽倉崎へ。かつてはお昼ぐらいに車両入れ替えで和歌山市への往復回送もあったけど、減便した今はどうなんだろう。7100ワンマンもたまに入ってましたが今はどうなってる? ↓

(写真:深日町~深日港、2023.7)

2200って天空用が出て行ったあとは5編成で支線全体で3~4運用をこなしていたんですが、銚子電鉄に1編成持って行って現在は4編成にてまわしてます。加太線は7100系おさかな特殊メイクが4編成入って入線はめっきり減っただろうし、高師浜線が止まってるので、汐見橋線1、多奈川線1、加太/和歌山港線1、予備1 の3運用が今の最大運用数かな。和歌山方にはおさかな以外のワンマン改造7100がもう1編成いるので、検査等で車両不足時は7100がカバーしてるんでしょう。 ↓

(写真:和歌山市、2019.12)

2201Fはもと22005F。この写真後ろの2連となります。ま、色以外は外観そんなに変わってないですな、連結器が変わったのと車番が入ったくらいかな。 ↓

(写真:千早口~加賀田(信)、1983.6)

2202Fは前述の通り銚子電鉄へ。本件、高師浜線休止中で1運用余っていたのと2200系置き換えの話が出てきた、ちょうどいいタイミングとなったんですよねえ、なんだかんだで銚子電鉄って運いい。ただ2202Fも製造が1969年と50年以上経ってるんでこの先大丈夫かいな・・・そして2200系3編成目は2203Fなんですが、こちらはすでに天空車両に再改造され、なぜか車番を変えて2208Fとなってます。こいつも1970年製だから置き換え対象になってますね、後継車はどうするんかな?この天空車両も貴重な17m車とあって追加で銚子電鉄に行くかもね。 ↓

(写真:極楽橋、2018.11)

こちら、当初から支線用として改造されたグループの2230系は3編成。この2231Fは2231+2281の組み合わせ。汐見橋線に入ると終日同一車両が運用に就きます。高師浜線もそんな感じです。なので住之江車庫には2200/2230が予備1編成入れて常駐3編成いたかな?今は変わったかも。 ↓

(写真:芦原町~木津川、2013.12)

こちら、高師浜線での工場夜景ラッピングをした2232F。現在ラッピングは解除されてますが、なんでか汐見橋線でも頻度高く運転されてました。こっちは夜景なんかあらへんので完全なミスマッチなんですが・・・ただこのラッピング、デザインでもっときれいにできたような気もしますがねぇ、一歩間違えたら阪堺の岡〇屋広告みたいになるやんか、気いつけんとなあ。 ↓

(写真:岸里玉出、2019.8)

そしてラスト、2233F。南海の支線ってほんと日中は客がいないんでどこも大丈夫?って感じなんですが、廃止の話はなぜか聞かないですね。。。(ま、くすぶるレベルでは多奈川線が岬町と存廃でプチもめしてるみたいだけど・・・みさき公園もなくなったしね) ↓

(写真:芦原町~木津川、2020.1)

最後は2270系となった貴志川線向け。貫通路がふさがれたんですが、結構雰囲気が変わっちゃった。また運賃授受をしやすいよう、運転台側乗降口を片引き戸にしてプチ変。 ↓

(写真:大池遊園、2005.1)

1201系の置き換えが1997年だったんで、高野線引退から少し時間が経ってからの移籍となりました。 ↓

(写真:竈山~交通センター前、2005.1)

ずっと不採算路線だったんで晩年はこんな広告車まで走らせてました。この訪問時はすでに廃止の話がでてましたね。ま、岡山電軌の助けで現在は和歌山電鐵として継続しています(ただ車両はすべてデザイン変更されてしまいましたが・・・)。南海本体からは2200系が消えそうですが和歌山電鐵ではもう少し生きながらえそう。とはいえこちらも更新が迫ってきたのでどうするのやら・・・18mクラスの中古なら東急1000系くらいしか見当たらんしなあ、困ったもんだ。南海2000系譲渡ってのは南海時間から考えるとありえんしなあ。。。 ↓

(写真:山東~大池遊園、2005.1)

で、2200系の後継車ってのこの2000系でして・・・黒歴史2があるんですが・・・2005年秋に高野線大運転の系統分割する白紙ダイヤ改正が実施されたんです。橋本以南の旅客が減り始めたことから見直すことに。それで橋本までが20m車、橋本~極楽橋が17m車と棲み分けすることになったんですが、当然2000系がダダあまりになっちゃうと・・・導入からまだ時間が経ってないのにどうするねん・・・まあ想定してなかった悲劇なんですが、さらに高野山世界遺産登録記念で2300系を導入しちゃうと。まあ、これは4両運行が基本の山岳部分を2両ワンマン化するためだったんですが、それだけお客さんが減っていたというわけで仕方なかったも車両作ったら50年使う南海にとってはとても大きな衝撃となりました。2000系大運転は利便性確保のため一部だけ残りましたが、その後のダイヤ改正で難波に来ることも年々減っていき・・・今は1日数本前半レベルかな? かつては10両編成も走ってたんですがねえ。。。ホームドア問題もあり難波乗り入れは過去のものになりそう。 ↓

(写真:新今宮~今宮戎、2019.8)

で、ダダ余りの苦肉の策が4両編成を南海本線の7000系代替に転用したこと。本線利用者にとってはなんじゃこりゃ!って車両で、普通列車限定、かつ、ラッシュ時はあたらなようにするとはいったものの、日中は普通列車が毎時4本に減って、21m6両編成の次に20分近く時間間隔空いた次の列車に17m4両が来たりする。まあ当然ながら混んでるわな、こいつ来たら結構むかつくんですよ。余ってるならせめて4+2の6両にしてよ!って感じなんですが、もうずいぶんこのスタイルで走ってますから今更6両運転なんてしないだろうな。 ↓

(写真:新今宮~天下茶屋、2018.8)

2200系置き換え用の2000系はおそらく2両1ユニットのほう。14編成もいるけど、こっそり存廃で揺れている多奈川線入れても5編成あれば十分。高野線では特急車両代替として4両編成4本キープもこうや号の新製特急作るっていってるので、まだまだ余剰感たっぷり。一方で関空利用のインバウンドが復活し難波~関空の車両はまたまた不足気味かつ7100系更新も迫り、かつ、なにわ筋線乗り入れ車両も必要とあって、本線側はまたまた車両不足になるわ、これからのカネもないわ、さあたいへんだ。なんとなく、泉佐野以南で普通列車は系統分割して余剰2000系ワンマン化投入みたいなこと考えてるかもしれない。 ↓

(写真:岸里玉出~粉浜、2019.8)

和歌山港/加太線の7100系ワンマン2連も製造が1972/1973年と50年選手なんで、近いうちの置き換え対象になってるものと思われます。まあ適任は2000系なんですが、おさかな化した編成が4編成もいるんで、南海時間だと10年後くらいの更新になるんだろうなあ。 ↓

(写真:梶取(信)、2023.7)

・・・ってことで地味に支線で活躍してきた2200系も見納めの時となりました。といっても置き換え完了となると2025年とか、まだ先になりそうですが、22000時代の独特のモーター音は健在だし、来春再稼働する高師浜線にも入ってくるでしょうから早めの乗り収めもいいかもね。 ↓

(写真:水軒、2002.3)

ちなみに、22000系はくまでんに譲渡もされてました。200系を名乗ってましたがすでに引退しています。1201系もそうですが、譲渡車両のほうが先に引退するって南海時間は恐るべしです(というか、車両整備士チームがとんでもない腕っ節集団なのかもしれませんが)。 ↓

(写真:黒髪町~藤崎宮前、2015.12)