久留里線末端部 廃止はほぼ確?②
今回は末端部の廃止で揺れる久留里線の懐かし風景ご紹介。国鉄時代はキハ30/35主体で運行、まあ当時の八高線や関東鉄道常総線とかにあった風景だったわけなんですが、あまりに陳腐化してたんで晩年緊縮予算の中でも新車としてキハ37が投入されます(写真 先頭車両)。登場時はタラコ色だったようです。ただし先行試作の要素もあって5両しか製造されず、うち3両が久留里線&木原線(現 いすみ鉄道)専属となってました。↓
それでも老朽化したキハ30/35の置き換え急務とのことから、新造できずにキハ35のほぼアコモ改造となるキハ38を作ります。こちらも少数派で全7両の製造にとどまり、当初八高線に投入されます。登場時は白地に赤ラインとかなり刷新された感じとなりましたが、如何せん少数派で多数のキハ35に埋もれてしまいます。↓
八高線は高麗川~八王子の電化が決まっていたのでキハ38投入は気休め程度となるんです。一応冷房車だったんですがラッシュ時に走っていたこんな編成の時はどうしてたんだろうね、キハ35は非冷房、なので38の存在はグリーン車みたいだったんだろうなあ・・・↓
で、久留里線には37以降、民営化後も国鉄風景が続き、置き換え用のキハ100/110は回ってこず、塗装だけ変えた車両が走り続けてました。↓
で、先述の八高線部分電化にて八高線では車両を大がかりに更新。電化部分はE231を投入、非電化部分はキハ110にてキハ35/38を完全淘汰。そのうちキハ38まだ新しいとあって全7両が久留里線へ回ってきます。久留里線転属時に新しい久留里線色にリメイクされ、供用となるキハ37も冷房化&新塗装となってこのシマシマカラーに統一されます。写真、キハ37+38ですが、2ドアが37、3ドアが38となります。正面は前照灯の位置が違うので見分けがつきやすいですね。↓
当時八高線のお古が入ってきただけって感じでもありましたが、利用者にとってはほぼ冷房化されたということでかなりのサービス向上となりました。↓
で、「ほぼ」冷房化ってのは38投入だけでは全キハ30/35を淘汰できなかったため。一部は運用上キハ30が残ってしまいます。ただこいつを懐かしの塗装にして客寄せパンダ化、タブレット交換が現役だったので、当時はテツや観光客を結構引っ張って来たと思いますよ。↓
キハ37/38が走ってたころは存廃問題は大きな話題になってなかったですが潜在的な問題になってたんでしょう。東京湾アクアラインの通行料が大幅に値下げした2009年以降、首都圏からの観光移動は急速に車へシフト、併せて沿線の高齢化も加速ってことになっていたのかな。↓
併せてキハ38も部品の大半はキハ35からの流用とあっていろいろガタが出てくることになったのか、自動閉塞化やワンマン化と併せて新車投入が検討されるようになります。↓
2012年12月からE130に統一、タブレットは一足先の3月で終了にて、現在の姿になるわけですね。日中の単行運転ではワンマン化され、やっと国鉄縛りから解放されたって感じとなりました。以前と比べてかなり垢抜けしたんですが、旅客減は止まらず今回の末端部廃止論へとなるわけで・・・サービス向上でもそもそも住んでる人が減ったら利用者は増えないからなあ・・・全国のローカル線問題そのものです。↓
ただE130投入って結構贅沢だったんだよね~、ここがJR西だったらキハ120をどっかからか転用して兵糧攻めダイヤなんか組まれてたんだろうけど、ここがJR東管轄でよかったね。でもリップサービスといえど利用する人自体が減ってるんだから効果ははっきりと出ず・・・ってところかぁ。。。振り返ってみるとなんだかんだでがんばったんだよね・・・↓
ちなみにキハ30/37/38は引退後水島臨海鉄道が一部を購入、現在もみずりんで活躍中です。・・・ってことで久留里線のお話でした。おしまい。↓


