惜別、南富良野の鐵路①
この春、来春の廃止が決定した北海道 根室本線 富良野~上落合信号所 の区間。南富良野を縦貫して十勝を結ぶ超ローカル線でしたが、かつては特急や貨物が頻繁に走る幹線だったところ。石勝線開業により幹線の役目を終え、晩年は超ローカル線となっていました。 ↓
富良野以南はもともと人口そのものが少なく、特急や貨物などの通貨客貨がなければほぼ域内交通もないようなところ。あっても富良野~幾寅まで、落合からの峠越えでのローカル利用は需要がまったくなかったといっても過言ではありませんでした。 ↓
とはいっても観光シーズンにはいろんなイベント列車を走らせてたんですよね~、たとえばこれ、映画のコラボでしたが、幾寅駅がモデルとなった鉄道員(ほっぽや)で使われた車両を走らせてたり・・・旅客アップは図ってましたが焼け石に水で・・・ ↓
今から7年前の2016年8月末に台風水害で幾寅~上落合信号所で複数被災。2015年に日高本線で被災しての被災による長期運休第二弾となってしまいます。ちょうどJR北の経営難もあって赤字路線への資金投入は到底できない状況で・・・で、北海道って鉄道に優しくない都道府県で公的資金はとにかく出したがらない・・・ってなことで地元自治体とJR北との協議だけにて当然結論出ず・・・こちら落合駅って土砂流入だけだったけど・・・ ↓
被災9カ月後の様子ですが、その後の雨で泥は流されてなんかきれいにはなってたのかな? ↓
稼働時代はこんな感じで・・・まあ、あんま変わらんけど、すでに広大な構内と需要のアンバランスさが如実になっていたということで潜在的にはこの当時でもすでに廃止を模索してたんでしょう。 ↓
ま、落合駅なんかは大した被害はなく、途中の被災が多数あって、道路がないようなところで復旧作業ってやってられんわってなことで廃止を自治体に打診 なんだろうな。そらそうだろうなあ。 ↓
唯一この被災で救われたのが東鹿越駅。廃駅が決まってたんですが、区間運休の代行バス接続駅になったが故、生き残ることとなりました。幾寅まで行ってくれたらってのが地元から強い要請があったようですが、復旧コストを押さえるべく東鹿越になったようで。あ、このバス連絡ダイヤ。ダイヤグラム作るとわかりますが、片運行になってる列車があり、東鹿越に留置はしないのでわざわざ富良野から回送するんです。直近ダイヤだと本数減って東鹿越始発だけがそれなのかな。代行運転になってからのほうがコストかかってると思う。 ↓
映画の舞台となった幾寅も時間が経てば映画自体知らない人も出てくるんで15年も経てばすっかり廃れてしまい・・・ほっぽや号の先頭ちょん切りがセットとともに保存されてますが、主役の健さんは他界、娘役はまたまた不倫でゴタゴタと、まあ、そのうち上砂川駅や恵比島駅みたいにすっかり忘れ去られてしまいそう。これはしゃあないですわ。 ↓
そんな中でもかつての急行狩勝を踏襲する快速の運行も最後までがんばってやってました。特に旭川~帯広の都市間移動を狙ってたんでしょうけど、晩年は18きっぷ旅行者ご用達列車になってたから存在意義がかなり薄れてた。 ↓
貨物も石勝線移行後も東鹿越~釧網本線中斜里に石灰石列車が走ってたんですよ。石灰石はトキに載せて中斜里に、ホクレン中斜里製糖工場からの出荷コンテナのコキとのコキ&トキにて中斜里~釧路~帯広って運転されてたんです。今となってはウソみたいな話になっちゃったけど。行き帰りで半分空っぽになる非効率運行だったんで存続はできなかったんでしょう。 ↓
テレビの北の国からの舞台にもなった布部駅。若者は何それ?ってくらい古~いドラマになってしまいました。ま、感じいい木造駅舎が残ってるんですが、廃線後も残してくれるのかな。 ↓
ってなことで、いろいろ頑張ってきた最後の姿が今の状況だったりするんですよ。 ↓
富良野に近いから観光路線への脱皮もトライしたんですが華がないんですよね~金山湖ぐらいだけど人造湖で特徴がない。 ↓
春先は豪雪地帯というのもあって山々の残雪が美しいんですが・・・ ↓
この景色って北海道だったらどこでも見れる風景だったりするんでこのためにだけではココにこない。。。 ↓
ローカルムードもちょっとかつて幹線ということもあって懐かしい本線跡って感じなんかな、旅情そそるぜ までは到達しないんだよな。 ↓
まあ万策尽きたって感じなんですよ、地元も活路を探した結果ということで、時間がかかったけど気持ちも整理してバス転換になったという、他とは違って平和的な終焉とでもいうのか。。。 ↓
この秋が最後の紅葉シーズンということなんですが、紅葉の美しい金山湖が狙い目も今年は10月半ばあたりが見ごろになるのかな。標高が少し高いので富良野界隈よりも2週間ほどシーズンが早い印象があります。さ、最後の撮影いけるかな・・・次回は懐かしの南富良野~新得界隈をご紹介。 ↓