さらば青春のキハ183系⑥
続いて最後まで運用に就いていた石北本線のキハ183。石北本線は古くから特急オホーツクと急行大雪が走る幹線も少子高齢化と沿線過疎化で知らぬうちに特急4往復、うち2往復も不定期列車という劣化ぶり。タマネギ貨物で有名な季節運行の臨貨もかつては3往復だったのもいまや1往復までに縮小。北見や網走といった中堅都市があるも高規格道路の整備も進んで鉄道不要論もチラホラ聞こえてくる始末。↓
線形から高速運行は難しいし、ここ遠軽のスイッチバックもネック。スルー構造にしたら5~6分ほど所要短縮できそうですが、数分のために新たな線路と駅の用地確保などなど数十億円の投資ってのはもうないかな。まあ、今も昔も特急車内で続く遠軽での椅子回しはちょっとしたイベント。今やしらさぎ号の米原での椅子回しくらいかな(ひだ号は岐阜での椅子回し不要にするため名古屋から椅子をあえて逆にしてるし)、昭和らしい?なつかしい光景がいまだ健在。これくらいの余裕があってもいいんじゃない?↓
石北の特急は110km/h対応でOKということで、初期車(スラントノーズ車)が中心的に使われてました。↓
ただ函館本線上ではその遅さゆえ、ホワイトアローとかにケツまくられるダイヤになってました。線上では追いつかれないよう必死の運転をするのでエンジン全開の爆走するんですが45分間隔くらいだと追いつかれちゃうんですよね。。。↓
バブル期が終わるとオホーツクの基本編成は4両に。増結車両はこのようなN183を放り込んだりもしてました。増車減車は気動車ならではの融通の良さですね。↓
N183はスピード重視の函館口へ投入のため、ここでは元祖が主流。とはいえ、旅行者向けに先頭展望を確保するためか、N183先頭車をつなぐようになります。↓
ま、Nか元祖かで大きな差はないのでお客さんとしてはなんでもいいけど。↓
白ボウズも2015年くらいまで混じって走ってました。↓
それにしても秋の写真が多いのは・・・↓
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・・・臨貨狙いのついで写真だからでした・・・愛好家はみんなそうかな・・・↓
あとは春先狙い・・・そう、北海道は線路わきにオオイタドリや蝦夷ニュウ、フキなどの巨大雑草が繁茂するんで成長前に行くべしなんです。↓
さてさて、こちらは復活?した?大雪号。急行時代はあったも特急化で名前消滅したので、この登場は「新設」が正しいかも。まあ、気動車不足の解消で運行を始めた訳アリ登場で、旭川~網走に絞った運行による車両運用減と社員の行路減を狙ったもの。さらに毎日運転じゃないスケールダウンときた。↓
まあ劣化が進んだんですが、ま、この大雪のヘッドマークがなかなか良くて…OKストアじゃないから様になる。↓
ちなみにこちらが夜行急行時代の客車エンドのヘッドマーク。ほら、完全復刻なんです。↓
遠軽の跨線橋もいい撮影ポイント。ただこの橋って躯体がボロボロ、いつ閉鎖になるかわからない状況なんです。インフラ劣化の象徴みたいな橋なんですよ。ちなみに同じようなのが音別にある跨線橋。こっちのほうがさらにやばくて穴空いてるところチラホラある。でも平気でみんな使っている。そのうち貫通して転落者でるんじゃないかなあ・・・もう更新したかな?↓
この大雪、走り出した当時はスラントノーズ車がまだ現役でたまに先頭者になると古風なヘッドマークが効いてこんな昔なスタイルに。↓
ゲンコツ先頭だと特急感でますなあ。↓
たしか1編成だけで、頭は南向きだと札幌行き側(遠軽以西)固定。運用がオホーツク&大雪で3運用。予備編成もあるんで、どれが入るかは運次第ってことで、苗穂出庫を見届けておかないとなかなか押さえるのがたいへんだった記憶があります。晩年の復活塗装編成と同じですね。↓
OKでもいいけど昔からよく撮影してたから、まあ、大雪のほうがヘッドマークがええやんね。↓
ゲンコツ引退後はN183ってなるも、写真のように中間車は元祖183も入ってました(まあキロなんだけどね)。っていうか、元祖も改造しまくりでしたし、塗装だけ昔のとかち色を継承ってことかもしれませんが混色編成のままだったんです。↓
・・・ということで、なにかとお世話になった 思い出お~い の183・・・↓
先月10日がラストランとなりましたが、今も苗穂の隅っこにいるらしく・・・このあとどうするのかな?展示用に残すのか、三笠村あたりにもっていくのか・・・↓
いやあ、私にとって感慨深い特急車両でした。ザ・北海道って車両だったんで、ほんと惜別です。自分もそれなりに年を取ったということでもありますが。↓