懐かしの和田岬線(非電化時代)

山陽本線の支線として本来目立たない存在なはずも運行する車両で目立ってきた和田岬線。朝夕だけしか走らない通勤特化路線でしたが2001年には電化までされたんですよね。まあ、これは代替する適当な非電化車両がなかったのと当時は余剰感あった電車の再活用とか考えてのことなんでしょうね。そうそう、余剰感って、車両は60年使うもんだよっていう関西常識からみた話ですが・・・↓

(写真:和田岬、2000.10)

電化前はキハ35-300番台が運用に就いてました。JRからはほぼ撤退(確か久留里線だけ運行してた?)したキハ35がまだ使われてるとあって今の103系身辺と似た状況だったんですよ。↓

(写真:兵庫~和田岬、2000.10)

今から23年前の風景ですがあんまり変わってないですね。架線があるかないかぐらい?この日は土曜日で2両運転。平日は6両なんですが、土日はたいてい2両運行でした。↓

(写真:和田岬~兵庫、2000.10)

このキハ35-300って写真見た通りちょっと特殊。そう、ホームが必要ない乗降口は1カ所だけに改造し定員数アップを図ってるんです。さらに兵庫方キハはエンジンのないキクハ。和田岬線でしか使いませんって車両なんで利用目的に合わせたんですね。車内もトイレ撤去、一部座席撤去ですっきりした内装。↓

(写真:和田岬~兵庫、2000.10)

ってのも、これ、和田岬線の伝統だった・・・客車時代はDL+旧型客車×6+DLのプッシュプルスタイルで、車内はこんな感じ。貨物車両じゃんって内装だったんですが混雑が半端なかったからなんで。。。しかも平成に入ってやっとキハになったという代物だったんです。↓

(写真:和田岬、1984.3)

機回し線もあった昔の和田岬駅・・・40年近く前なんですが、雰囲気はあんまり変わらんですね。↓

(写真:和田岬、1984.3)

ただし大きく違うところがあって・・・↓

(写真:和田岬、2000.10)

この駅舎。震災も耐え抜いたんですが2009年に解体されたとのこと。跡地はファミマになってます。↓

(写真:和田岬、2000.10)

20年前は兵庫運河にも木材がまだ貯留されてましたが、木材自体はすでに使われない在庫品だったような・・・いまや貯木場なんて絶滅したんじゃないかなあ。↓

(写真:和田岬、2000.10)

係留されていたバージ船も最近見ないですね、港湾風景だけはものすごく変わってしまいました・・・ということで和田岬線終わり。次は207系が321系に置き換えられるタイミングかな・・・20年後かあ、生きてるのかなあ。↓

(写真:和田岬、2000.10)