能勢電鉄-運用減は続く?

昨年12月に1700系2編成の運用離脱となった能勢電鉄。製造から60年ほどとかなりの古豪さんだったというのもあるのでしょうけど、実は運転本数削減による車両余剰のほうが大きな一因だったと思われます。写真は離脱したうちの1つ、1754F編成。↓

(写真:滝山~絹延橋、2017.3)

1700系は元阪急の2200系。能勢電の車両はこれまで基本阪急のお古を使っています。1700系は1990年登場で沿線の宅地開発から急激な旅客増に対応する&非冷房車追放も兼ね、9編成がやってきました。↓

(写真:滝山~絹延橋、2017.3)

1700系はかつての主力車両でしたが先述2編成を合わせてすでに7編成が離脱。里山便になっていた左の1758Fは2017年に引退。↓

(写真:平野、2016.9)

こちら1753Fは2019年に引退しています。↓

(写真:滝山~絹延橋、2017.3)

さて導入時に1700系が追い出した車両はこんな古風な釣りかけ電車だったんですよ。↓

(写真:妙見口、1981.12)

この610系は車長15mと現行19mに比べて小型だったんで、のちラッシュ対策で5両化。1編成だけ平成に入るまで老体に鞭打って運用されてました。↓

(写真:妙見口、1981.12)

当時の能勢電はとにかく投資が嵩んでキツイ経営をしていた時。沿線の宅地開発に合わせ複線化工事や日生線の建設など、この鉄道規模に似合わない大投資をしていたんですよね。阪急の子会社とはいえ、中古車両を使って償却負担を軽減するなどギリギリの経営をやってたんでしょう。こちら1500系は阪急2100系のお古ですが能勢電初の冷房車。旅客増に対応するため阪急から車齢20年ほどの車両をねん出したもの。昇圧後も残り2015年まで運用に就いてました。いや、懐かしいカラーリングですね~↓

(写真:ときわ台~妙見口、1986.3)

こちら、川西能勢口からJR川西池田まで伸びていた妙見線の末端部。昔の起点はここ川西国鉄前駅だったんです。晩年国鉄前~川西能勢口は盲腸線扱いとなっていて、単行の50形が平日朝夕5往復、休日4往復という、激細ダイヤだったんです。当時の福知山線は電化前(廃止直前で宝塚まで電化してましたが)でDD51が引く旧型客車が跋扈。沿線住民は誰も汚い遅い全然来ない国鉄より、すぐ来てきれいな冷房がある阪急電車を使う。廃止1週間前の訪問でしたが、廃止の話が出てから乗った住民も多かったでしょうね、直前の週末はピストン運行で客を捌いてました。ちなみにこの路線、その後の区画整理と大規模開発で跡形はまったくなくなっております。→昔の風景はこちらにもまとめてます。↓

(写真:川西国鉄前、1981.12)

平成に入っても投資が続きます。1995年には昇圧、1996年に川西能勢口駅の高架化完了、1997年に念願だった梅田乗り入れとなる日生エクスプレスの運行開始・・・日生線が開業してから理想までなんと20年という時間を要しました。↓

(写真:滝山~絹延橋、2017.3)

この日生エクスプレスの運行でのダイヤ調整で必要(だったっけ?)となって導入された3100系。前照灯まわりの銀縁が特徴的でした。↓

(写真:絹延橋、2017.3)

1997年あたり、日生EX用を除き能勢電の車両保有は最大になってましたから、このあと数年くらいが発展のピークだったのかな。ちなみにこちら1編成だけだった3100系は2021年に7200系に置き換えられ廃車となっています。↓

(写真:滝山~絹延橋、2017.3)

で、これまで発展を続けてきた能勢電。その後ベッドタウンからの通勤通学が主たる財源の鉄道とあって、勢いにも陰りが出てきます。利用者の大半はあるタイミングで一気に開発された団地群の方々。なので住民の年齢層に偏りがあり、沿線住民の高齢化&子の自立が進むと、旅客が加速度的に減ってきます。定年で会社に行かなくなる、子供が学校を卒業して家を出ていく となると電車に乗る理由が大きく減ってしまいます。周りのバスだけ団地より劣化は進んでないと思われますが、ラッシュ時の旅客減は目立ってきたのでしょう、2017年に朝だけ運行の急行が廃止となりました。↓

(写真:絹延橋~川西能勢口、2017.3)

この12月のダイヤ改正では川西能勢口発着を基本妙見口行きから日生中央行きに変更するという大胆なものでしたが日中は10分間隔の運転を継続。↓

(写真:絹延橋、2017.3)

日生EXも平日朝夕ラッシュ時7往復もキープされました。ラッシュ時の宝塚線はかなり混雑するので着席チャンスの高さを売りに、沿線への住民誘致も思惑としてあるんでしょうね。↓

(写真:絹延橋~川西能勢口、2017.3)

現在の能勢電の主力車両はこの5100系。1500系置き換えのために導入された阪急のお下がり。4両5編成+2両2編成が運用に就いていますが、うち4両1編成と2両編成は行先表示が幕式のままとなっています。↓

(写真:絹延橋、2017.3)

5100系は一番よく見る車両ですね、マルーン色なので阪急時代と変わらず。ただ登場は1971年からなんで、製造から40~50年経ってます。まあ、本家でもまだ宝塚線で使っているし、内装は阪急内装なんでお古感はまったくありません。この古さだと首都圏では考えられませんが関西ではごく普通。↓

(写真:滝山~絹延橋、2018.6)

こちら2019年から1700系更新のために入ってきた7200系。元阪急の6000系と7000系のミックス車両。登場から40年ほどと決して新しくないが阪急内装で車内インテリアは申し分なし!阪急知ってると東武車両の汚さが余計に気になる・・・↓

(写真:絹延橋~滝山、2018.6)

最近の能勢電は阪急の型落ち集めというよりかは古株活用ってほうかもしれません。まあ、川西能勢口~雲雀丘花屋敷では能勢電車両も回送が行き来してますし、日生EX導入以降は実質阪急の支線という印象がより強くなっています。↓

(写真:川西能勢口~雲雀丘花屋敷、2019.12)

で、残る1700系は1755Fと1757Fの2編成。置き換え車両導入なのか、運用減で減らすのか、1編成ずつそうするのか。。。日中10分間隔ダイヤは宝塚線に合わせてるのでこれ以上の運用減となると朝ラッシュの追加減便になってしまうが、コロナ後の旅客回復が遅い中、ラッシュ時減便はもう1回くらいありそうかな。↓

(写真:滝山~絹延橋、2017.3)