さよなら札沼線非電化区間-2

次の訪問は深名線廃止の合間でちょい寄り。深名線はキハ53-500がメイン車両だったので、多度志あたりの風景に似ているここ札沼線にはなかなか食指が動きませんでした。

(写真:新十津川、1994.7)

このときはもう新十津川は無人駅となってました。

(写真:新十津川、1994.7)

駅名標は国鉄時代から更新されてましたが「XX都市」とついてるのがとっても違和感ありました。

(写真:新十津川、1994.7)

25年前は旅行者よりも地元のお客さんがちゃんと乗ってたんですよね~。

(写真:新十津川、1994.7)

ただすでに1日3便に減便されてました。

(写真:下徳富、1994.7)

下徳富駅の大きな駅舎は廃止時まで残りました。

(写真:下徳富、1994.7)

この駅で何度が写真を撮ってますが乗降者を見たことがありません。のどかな田園の中にある不釣り合いな大きい駅舎が違和感ありました。

(写真:下徳富、1994.7)

このあたりは開けていて撮りやすいんですが特徴がなく、らしさをどうやって醸し出すかが難しかったです。

(写真:南下徳富~下徳富、1994.7)

ちなみに石狩川鉄橋の付け替えの話を聞いてちょこっとだけ札沼線札幌口の写真も撮ってました。この時期のネガフィルムは劣化がひどくて色もひどい・・・ちょうど安価な現像屋が増えたとき。あんまりいい現像処理をされてないのかもしれませんね。

(写真:石狩太美~釜谷臼、1993.10)

キハ141が大量に使われた超ロング編成の列車が走ってました。釜谷臼って改名されてて、今のあいの里公園のことです。

(写真:石狩太美~釜谷臼、1993.10)