美祢線、BRT化決定 鉄路に幕②
美祢線って民営化時の料金区分で「幹線」指定となったところ。廃止候補の路線がなぜ?って感じるでしょうけど、こんな貨物が高頻度で運転されてたんです。↓

これ、美祢にある伊佐鉱山から宇部港にある宇部興産(当時:現「ユービーイー(UBE)」)のセメント工場へ運ぶ石灰石列車。晩年でも1日9往復くらいあったっけ?↓

かつては16往復ほど?24時間体制で輸送を組んでいたというんですから驚きですね、国鉄の労使紛争のストでもこの貨物は止めなかったというくらいの、重要列車だったんですよね。。。宇部線にも残る交換駅でのリーチの長さや一部複線区間はこの貨物列車のためだったんです。↓

ただ当時の宇部興産としてはこの貨物が止まると事業が止まるという危機意識から、鉱山から工場へ直結する高速道路並みの私道「宇部伊佐専用道路」を作ります。これにより鉄道貨物と専用道路の2本建ての供給ルートを確保。高度成長期からバブル期までの、需要期の原料安定調達に寄与します。↓

しかし、言わずもがな日本経済は衰退へ。需要減によるセメント不況から必要原料も減り続け、とうとう専用道路のみで賄えるレベルに。ついに鉄道貨物は1998年3末にて全廃となります。昔は日本各地にあった鉱石列車はいまや岩手開発鉄道、秩父鉄道、西濃鉄道=JR=名古屋臨海鉄道と三岐鉄道=JRぐらいになったんだよねえ。。。(デンカの原石線も細々とあるか・・・)↓

ただ、このとき興産貨物は全廃でしたが、重安~宇部岬を結ぶ、セントラル硝子向けの石灰石貨物は残りました。この貨物列車、セキを使う興産貨物と違って赤ホキを使っていたので独特の雰囲気がありました。↓

赤ホキは平日1往復の設定のみ、重安で石灰石を積み込んで・・・↓

美祢線を南下、DD51は厚狭までとなり、編成を分割してDE10にバトンタッチして宇部線に入ります。通常宇部線内は2回に分けて運行されてたんですが、晩年は荷が少なくなり、機関車付け替えだけで宇部線に入って行ってたと思います。↓

宇部岬では列車はスイッチバック、機関車付け替えにてセントラル硝子専用線へと入ります。宇部岬駅は交換駅でしたが狭い構内なので旅客ダイヤの合間にささっと入れ替えるようなダイヤとなってました。この狭さで厚狭での2分割も必要だったんで、結構手間がかかってたんですよね・・・赤ホキ老朽化という名目でしたが明らかに合理化目的、2009年10月にて廃止となってしまいます。↓

ちなみにこの工場には専用の入換機がいましたね、貨物列車受け取り後、石灰石積み下ろしの入れ換えで使われていました。美祢の伊佐工場のほうも専用線があって、工場から美祢駅の荷受け場まで、専用機が行ったり来たりしてました。詳しくはこちらご参照。↓

で、宇部興産貨物廃止後すぐの1998年6月、新たな貨物列車がスタートします。これが当時撮り鉄憧れの通称「岡見貨物」なんですよね。宇部興産伊佐セメント工場と中国電力三隅発電所をつなぐ列車で、伊佐工場から専用線を経て美祢、厚狭、新山口を経て山口線を通り、山陰線岡見までを結んでいました。↓

これ、伊佐からは炭カルを、発電所からはフライアッシュを同じ貨車で相互に運ぶというもの。返空なしで往復満載できるという、効率のいい輸送形態で「環境にやさしい」と注目を浴びていました。同じようなことはいまでも東藤原⇔碧南でやってますね。↓

なので、この貨物は当分安泰と思われたんですが、2010年の美祢線水害で長期運休、発電所のトラブルなどで運休も頻発。とどめが2013年夏の山口線の被災。鉄橋が流され復旧に時間を要すること、ちょうど契約が2013年度内に切れるということもあって、鉄道貨物は運休中に廃止が確定。撮り納めできなかった方も多くいたと思います。↓

山口線内の勾配対応から、新山口~岡見が重連になることで、かなり人気もあったんですが、結局重連運転だった山口線では写真を撮り納められず・・・早朝夜間の運行になるので撮れるところも限られたしね・・・↓

・・ということで、宇部興産荷主の貨物大量廃止からも何とか15年ほど続いた美祢線の貨物列車。それゆえ旅客の赤字が長年目立たなくなっていたのかな・・貨物廃止後突然不採算路線って存在になってしまったんで。。。まだ三隅火力も伊佐セメント工場も健在なんで、一連の水害がなかったらまだ運転が続いていたのかもしれません。それどころか今回のBRT化の話ももっと先になったんでしょうね。。。↓

そういう意味では本当に「使命が終わった・・・」という感じになってしまったんですよね。。。さみしい限り。。。今回は災害での終了のため、さよならイベントもなく、このままBRTへと姿を変えるのみとなりそうです。できればまだ残る駅風景くらいは記録に撮っておきたいですね・・・さよなら鉄路の美祢線。↓
