さよなら国鉄電機(6)-EF66(サメ)①

この春に大方運用離脱となるPFと時を同じくして「サメ」こと、EF66-100番台も東阪1往復を除き運用終了となるようです。↓

(写真:新鶴見(信)~尻手、2025.1)

PFと違い、こちらはあまり人気がなくて、珍しいスジに入っても撮影してる人はかなり少数派でしたが・・・↓

(写真:新鶴見(信)~尻手、2023.12)

もともと66って晩年は0番台ニーナが有名になってましたが登場が1968年という、ザ・国鉄な機関車。↓

(写真:新井口~西広島、2018.5)

高速貨物対応ということで貨物だけでなくブルトレ牽引機としても活躍してました。↓

(写真:三島~函南、1996.3)

このデザイン、今でもかっこいいなあ。。。まだ運転室冷房装置が頭についてないときですね。↓

(写真:三島~函南、1996.3)

民営化後は特に貨物所属となった66は不足する機関車を補うため結構酷使されてましたね、延命のため機器更新されますが、塗装はサメにあわせて、また前照灯間にあったステン飾り帯を撤去され、あらら!なんじゃこれ?って見た目になりました。・・・とにかく格好悪いんですよ。↓

(写真:三島~函南、1996.3)

その後汚れやすい更新色が改められほぼ国鉄色(新更新色)となります。ただ飾り帯は復活せず(ま、貨物で必要ないからね)。↓

(写真:吹田(信)~鴫野、2011.4)

一方、JR西所属の特急運用に就いていた66は帯をそのままつけて走行、ヘッドマークと相まって最後まで凛々しい姿で走りました。↓

(写真:東神奈川~新子安、2009.1)

ブルトレがなくなり帯ありの車両ってニーナだけになったのかな?晩年はニーナ走行時には追っかけ隊がわんさか集まってたいへんだったみたい。↓

(写真:八本松~瀬野、2015.6)

で、民営化後機関車増備として登場したのが100番台、開発予算もなかったから、ほぼ66の2次車ベースのコピペ仕様ということで、外観もよく似た形となって登場となります。外観がパクリ的デザインでインチキ臭さがあるからでしょうか、「サメ」と呼ばれてちょっと扱いが他の電機より格下扱いとなります。↓

(写真:小田栄~浜川崎、2024.12)

ちなみに、こちら、66-0ベースでスペインに輸出された「Serie 251 de Renfe」。今はレンフェカラーになってますが、登場時は66っぽいカラーで運転台下の車両プレートもついてたみたい。軌間や電圧は違いますが顔つきや前照灯などのスタイルは66チックですね。・・・つづく↓

(写真:Tarragona、2024.12)

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