さよなら国鉄電機(5)-JR貨EF65(PF)③

大宮更新色になって撮る気が失せたPFも晩年はかつての国鉄特急色(というのでしょうか)に塗り替えられすっかり国鉄風景に。まあ、こうした懐かし塗装は死〇フラグなんですが再塗装後は首都圏界隈だけですが楽しませてもらいました。↓

(写真:八丁畷~川崎新町、2024.1)

大宮更新色も悪くはないんですが、なんかちょっとなあって感じで食指が動かん釜だったりしましたが・・・↓

(写真:岡部~深谷、2014.3)

それもそう、PFだとこっちのほうが印象強くて・・・↓

(写真:三島~函南、1996.3)

ブルトレ引っ張ってたのも大きいなあ・・・↓

(写真:東神奈川~新子安、2005.9)

更新色悪くはないんだけど、なんか迫力が足りないような・・・↓

(写真:岡部~本庄、2014.2)

一時期は更新色ばかりで撮る気が失せてしまった感じかなあ。↓

(写真:深谷~岡部、2014.2)

でもなんか高崎線ではブルトレやあかぎ引退とかで何かと写っていたりしました。。。↓

(写真:深谷~籠原、2014.3)

プレートの色もいろいろあって・・・一応ルールあるみたいだけど・・・こちらは今も継承されている赤プレート。「常用ブレーキの減圧促進改造工事対応済み」の色らしいが1987年から登場という古い識別みたいで・・・↓

(写真:金町、2016.11)

こちらは更新色の白ベース。当然対応工事済みだろうけど赤ではない、まあ古い識別コードだろうから。。。↓

(写真:深谷~籠原、2016.2)

旅客の国鉄特急色だとクリームベースの色がプレートにも回ってるのでそれと同じ感覚?そういや旅客のPFはクリームベースのプレートで統一されてるなあ・・・↓

(写真:八丁畷~川崎新町、2023.9)

それから更新色のブルーのほうがベースになってるのもあった、識別何?わからん。塗料の節約?プレートだけだとほとんどコストダウン効果ないけどなあ。グレー地もあるらしいが足回りの塗料を回したのかな?↓

(写真:本庄~岡部、2014.2)

プレート文字が金色ってのもあった、更新タイミングとかで変わるのかな?文字って今でもステン無地からシルバー塗装、メッキ処理といろいろあるみたいだし、実態は整備担当者の趣味なのかもしれないね・・・ちなみに1000番台→2000番台変更はとある機器取付済みの識別だったりする。しかしまあ、すべての識別に意味があるならもはや整備士担当レベルと猛者マニアしかわからんで。。。↓

(写真:三島~函南、1996.3)

で、晩年国鉄特急色が増えていくと不人気の大宮更新色が人気の的に。どの世界でも希少性が出ると突然世論が変わるんですよね、おもしろい社会現象です。↓

(写真:新鶴見(信)~尻手、2023.9)

釜が大宮更新色の時は人がかなり集まってましたね。↓

(写真:市川大野~船橋法典、2023.11)

ただ大宮更新色はすでに全機引退、今となっては懐かしの風景です。↓

(写真:八丁畷~川崎新町、2023.9)

あと広島更新色ってのも1機いてもっと人気があった・・・↓

(写真:新鶴見(信)~尻手、2023.9)

正面非常扉の色がカラシ色なので「カラシ」と呼ばれてました。こいつもすでに引退済みですね。↓

(写真:南船橋~新習志野、2023.9)

来春からは臨時枠でしか仕業がないということで、コンテナ牽引は代走だけになりそうでかなりレア化します。↓

(写真:市川大野~船橋法典、2023.10)

タキ牽引は臨貨設定でもあるし来冬くらいまではEH200/桃&押桃の配転やらで代走入りやすそうだし期待はあるけど・・・↓

(写真:新習志野~南船橋、2023.10)

どちらにしても確実なPFの勇士ってのはあとわずかですね・・・↓

(写真:本庄~岡部、2023.2)

旅客に残るPFもチキか甲種が主となってきたし、こちらも各社機関車全廃方向というから多少イベントで残るも5年経てば動態はなくなってるでしょう。↓

(写真:東福山、2014.11)

登場から50年近くが経つしJR貨物所属になってからは走行距離でかなり酷使されてるだろうし引退は仕方ないですね。。。↓

(写真:小田栄~浜川崎、2023.9)

とにもかくにも、PFさん、長年の活躍、お疲れさまでした!↓

(写真:新鶴見(信)~尻手、2023.12)

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