さらば青春のキハ183系③

全道の遜色急行を追い出す&特急化による料金徴収アップを狙って投入が続いたキハ183も、高速化の流れで離脱が始まっていきます。こちら、スーパーとかちですが、当時の「スーパー」はスーパー北斗などと違う意味の「スーパー」。写真チラ見のキサロハ182が連結された豪華さを謳った「スーパー」だったんですね。↓

(写真:広内(信)~西新得(信)、1996.7)

先頭車側面にはスーパーとかちのロゴも。おおぞらを差し置いてとかちだけリゾート色を出していたんですが、これは途中にあるトマムリゾートを意識してやってたんでしょう。↓

(写真:新狩勝(信)、1999.10)

俯瞰で有名な増田山からの183スーパーとかち。1997年の283おおぞら投入でスーパーとかちは普通のとかちになるんですが、キハ283系仕様列車は高速化特急という意味で「スーパー」の冠が着くことになるんですよ。ややこしい。ちなみにこの増田山俯瞰の場所、今は周辺のヒグマの生息数が一気に増えて「単独」「徒歩」なんかではいけない危険地帯となってますのでご注意の程。↓

(写真:広内(信)~新狩勝(信)、1998.10)

同じ増田山(だったと思う)からの1コマ。今はこの画角は撮れないんじゃないかなあ・・↓

(写真:西新得(信)~広内(信)、1998.10)

スーパー冠とれたとかち。283はおおぞら、183はとかち という体制となります。↓

(写真:新狩勝(信)~串内(信)、2000.10)

N183は当初とかち色だったんですが、知らないうちにN183はHET色へ、元祖はとかち色でって塗分けになりました。こちらとかち色時代のN183。見慣れないからか、妙に変な雰囲気ですね。白坊主チックだ。↓

(写真:芽室~西帯広、1998.10)

2000年頃から183は元祖&Nの組み合わせが基本?NはNと、元祖は元祖との編成 っていう意識があんまりなくなりました。オホーツクも元祖が引退するまでこんな編成でしたしね。↓

(写真:新得~十勝清水、2001.10)

新得スキー場からの俯瞰風景。増田山ほどではありませんが、徒歩で草生える斜面を登っていくから熊には要注意。万が一のときは車アクセスができる増田山より危険かも。今は木々がどうなってるかわかりませんが、さらに上にある新得山展望台(第二)から俯瞰できるので(夏場は木々と雑草で難しいかも)そちらを。ここは車でいけます。↓

(写真:西新得(信)~新得、2001.10)

パシクル湿原を行くおおぞら。2001年までは昼行おおぞらにも183が走ってました。↓

(写真:音別~古瀬、2001.4)

おおぞらのヘッドマークはどこからかで英語表記に。↓

(写真:西新得(信)~新得、1998.10)

N183も高速化対応工事後HET色に変更されていくんですが、1993年当時はまだおおぞらでは新特急色が走ってました。↓

(写真:音別~尺別、1993.10)

そして2001年におおぞらはすべてキハ283系に置き換えられ高速化完了・・・も夜行急行まりもの代替として走っていたおおぞら13・14号は残って名前を特急まりもに変更。2008年夏まで運行されることとなりました。↓

(写真:音別~古瀬、2001.7)

この夜行特急、見た通り特急車両の間にB寝台客車をはさんで運行してたんですよ。同じようにオホーツクの夜行や特急利尻も同じように走ってました。2000年代に入り東〇インとかの格安ビジネスホテルがあちこちにできて、夜行移動は節約目的が主流に。そうなると高速バスに勝てなくなってこの手の夜行列車は2000年代後半にすべて廃止されてしまいます。↓

(写真:別保~上尾幌、2001.7)

一時期まりもは夏季に限って根室まで延長運転してたんですよね~、いまや釧路以東は黄色線区で廃止も視野に入ってきてますが、まあ、ここ15年ほどの凋落ぶりはちょっとひどい。それだけ鉄道利用が減ったと。地元民は過疎化&高齢化で利用者は加速度的に減る一方、旅行者はレンタカーシフトって感じなんでしょうね。旅行を支えていた若者自体がいないからなあ。また人流も変わっちゃって根釧台地の中心都市はいまや中標津。鉄道と関係ないところなんですよ。釧路~中標津は高規格相当の国道直結で便利ときた。札幌と東京直結の空港もある。一方根室方には目立った観光地もないし、人は減る一方。鉄道は古い線路で維持費かかるし、鹿だらけで事故多発・・・そりゃ存続が危ぶまれる区間になりますわな。逆によくぞ維持してくれてるって感謝なんだろうと思う。↓

(写真:厚岸~糸魚沢、2001.7)