さらば青春のキハ183系②

ラストランから10日余り。留萌本線部分廃止も終わりましたが、あとはNREX引退と737系電車登場&キハ143系離脱のイベントが続きますね。まあこの183引退のインパクトが大きかったのでWBC野球が終わった後のような感じになってしまいます。さてさて、この183、1979年の登場時は国鉄特急色を纏ってたんです。さらに先頭車はスラントノーズのげんこつスタイル。ちなみにこちらはイベントでの復刻塗装。↓

(写真:野田生~落部、2003.5)

N183系(キハ183系500番台)が入るまではキハ80系も活躍してましたのでこちらに塗装を合わせたんですね。↓

(写真:植苗、1988.8)

民営化後すぐはちょうどバブルも重なって旅客も増え、軒並み特急は長大編成が主。こんな長いオホーツク、お盆正月でももう見れませんね。↓

(写真:中愛別~愛山、1989.3)

こんな北斗もねえ。↓

(写真:植苗、1988.8)

民営化直後はまだ国鉄時代の色を纏ってました。N183系もこんな感じで・・・↓

(写真:沼ノ端~植苗、1988.8)

おおぞらも立派な編成だ。お尻は元祖183、前はN183の混成ですね。↓

(写真:上野幌~西の里(信)、1989.3)

スーパー北斗誕生前はこうした長編成北斗が幅を利かせてました。↓

(写真:上野幌~西の里(信)、1989.3)

千歳線にライラックも走ってた。ちなみにこの高架橋の撮影ポイントは今はなくなってるみたい。(自転車道脇だったと思うけど記憶にない)↓

(写真:上野幌~西の里(信)、1989.3)

ちょうどこのあたりの時期は周遊券使ってトンデモ旅行してたとき。札幌発着の夜行を使って稚内方面・釧路方面・網走方面の3方向を行ったり来たりして宿泊費を抑えてたんです。ホテルなどには1泊もせず19泊20日のロングラン鉄道旅行してましたね。もちろんお風呂は銭湯を使って2日1回は入ってたかな。こちら、夜行急行大雪に乗って到着したときの網走駅での一コマ。↓

(写真:網走、1988.9)

こちら、4両しかなかった中間車改造の先頭車、キハ183-100番台「海坊主」。JR北塗装後残った編成は知らぬ間に「白坊主」に名前が変わっちゃったね。独特の顔つきになって結構人気があった車両。それにしても・・・うーん、こんな長編成、もう見れないよな。北海道鉄道栄光の時代だなあ・・・↓

(写真:愛山~中愛別、1989.3)

この音別の有名撮影ポイント、レンタカーなんて借りる金がないから、周遊券&歩きで行ったんだよな~コインロッカーもないから思いバックパック背負って歩いて・・・当時はコンビニもなかったから食パンを持ち歩いてたっけ。昔の個人旅行って、国内であっても今と比べられないくらい物理的な部分でハードル高かったんだよなあ。スマホないしネットもない。だから同じような旅行者を旅先で見つけて、銭湯や食料調達、駅寝の情報交換やってたんです。そうそう、いまや駅寝なんて許されない世の中になったけど、旅行も回を重ねていくうちに駅寝も1~2回入れていけるようになるんだけどね・・・↓

(写真:音別~尺別、1989.10)

とにかく周遊券旅行でとってもお世話になったキハ183。最後の復刻塗装は当時をよく知る人にとってはとっても思い出深いものでした。なんせ「周遊券」なんかないもんなあ、10年ひと昔っていうけど、30年以上も年月が経つと社会システム自体がすっかり変わってるし。当時やってたようなバカ旅行する輩ももういないだろうな(そもそも夜行列車がない)。ただ「とほ宿」ってサイトあるから、かろうじて愛好者が存在してる?!まあ若者じゃないんだろうなあ・・・・・↓

(写真:苗穂~札幌、2023.3)