日本製紙富士工場(鈴川)専用線
最終運行日
2012年3月16日
JR東海道線吉原~富士工場(鈴川)
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JR東海道線吉原から東海道線に隣接する日本製紙富士工場鈴川(旧鈴川工場)へとつながる専用線がありました。吉原から三島方向へ踏切2つ越えた先、工場入り口門前あたりが吉原駅構内と専用線との分岐点でした。2012年7月現在スイッチャーたちは整理されたようですがレールはその後も残り、2015年2月には敷地跡利用による石炭火力発電所(2016年稼動予定)向けの変圧器が、この専用線を使ってシキに乗せられ運ばれました。
さて日本製紙は東日本大震災で主力工場の1つだった石巻工場が大きな被害を受けましたが、震災復興ということで石巻の施設は以前までとは行かないもかなりのレベルまで復旧させました。
一方でここ数年紙需給のバランスが取れず、生産能力はオーバースペックでした。震災で他社含め多くの製紙工場が被害を受け、一時的に輸入紙が急増。工場が再稼働しても輸入紙からの切り替えが進まず利益が低迷。リストラで体力強化を図る施策を打ち出し、その一環としてこの鈴川工場の閉鎖が決定となります。
ちょうどそんな矢先、JR貨物のワム扱いの廃止が決定。リストラの前倒しで当専用線がワム廃止とともに消え去ることとなりました。時を同じして、吉原駅で接続する岳南鉄道の貨物列車も2012年3月に廃止。荷主は日本製紙グループでこれもリストラの一環だとか。残る富士の専用線もコキ化されたとはいえ、動向が気になるところです。
入換&スイッチャー
荷は紙の出荷で2つのタイプがあったのか、ワムとコキが使われ、吉原駅でそれぞれ分割されて別々の列車に仕立てられていました。両数は荷役線の関係もあってかコキ3両(ワムベース6~8両)くらいの短い編成が主でした。
ここの荷役線は1本、側線が1本とかなり手狭で、どうやって入換ているのか不思議でしたが実際入換風景を見て難しいことをしてそうだとわかりました。
スイッチャーは2台。2008年に廃止となった専用線:日本製紙伏木工場場内にいたスイッチャー20t機と、かつてメイン機だった「89-75」が在籍。予備機は門の入り口に留置され、動く気配はいつもなく、メイン機は奥まった荷役線上が定位置のようで、通常は近くで見ることができませんでした。
さらに、ここの観察はどこかの倉庫会社の空き駐車場からしか観察できないため、写真を撮るのに入っていいものかどうかためらう場所でした。(昔はこうした駐車場には自由に入ってもいい空気がありましたが、昨今はそういう空気が薄くなってきてます→トラブル防止から廃止後なら・・ということで今回紹介しています)
入換パターン
吉原駅構内の入換、工場への送り込み・引取りはJR機のDE10が行っていました。スイッチャーは場内入換を行うのみで、場外に出てくるのは門から少しだけで、専用線分岐点までしか出てきません。
運行は平日のみ、土日祝日年末年始・お盆休みと超サラリーマン運用でたまにウヤと、撮影には手こずるところでした。ただダイヤは工場1500着ときっちりした運行だったので、周りの富士や岳南との掛け持ちは楽だったんじゃないでしょうか(私はよくフラれましたが)。
入換は吉原駅からJR機が正の向きでそのまま場内に入っていきます。2本あるうちの側線に進入し停止。続いて荷役線に当日出荷しない貨車があればスイッチャーが引っ張って荷役線から側線へ転線します。このときスイッチャーが場外へちょっとだけ出てきます。
JR機は東側奥にあるポイントを使って側線から荷役線へ移動。出荷する編成のお尻についてコキ・ワムを吉原駅まで押していきます。JR係員が貨車の先頭に乗車し、吉原駅へ戻ります。
続いて場内の入換です。側線側に仮置きした吉原からの編成を荷役線へ移動させます。奥の転線用ポイント先のリーチが短いため、貨車の入換は入り口門側を使ってました。スイッチャーは動き回るスペースがないので基本、編成の西側(吉原駅側)につくルールのようでした。
スイッチャが構内に留置している貨車を再び側線から引っ張り出し、当日届いた貨車に組み込んだりします。ない場合は側線に留置した編成を引っ張り出し、荷役線へ押し込みます。分割する場合はパズルのように2本の線路を使って入れ換えていきます。
入換作業は10分ほどで終了。あっという間に終わります。門が閉められたら作業終了でした。なお、1300台にも貨車の引取りと送り込みがあるという情報もありましたが確認してません。1400台にはすでに門が開けられてましたので1300台の入換えはやっていたのかもしれませんね。
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