どうなる?加古川線103系①

103系がまだ活躍する加古川線。かつては加古川線から三木線や北条線、鍛冶屋線も分岐するちょっとした本線だったし、阪神淡路大震災のあとは運行ストップとなった山陽本線の代替ルートとして一時的に大活躍も、復旧後は元の状態へ。テコ入れと当時は大災害時の代替ルートの重要性が議論されたタイミングだったこともあって、補助金投入で全線電化・電車化したという経緯のちょっと「いろんなこと」があった路線。 ↓

(写真:小野町~粟生、2023.6)

代替路線で電化という話は震災があった1994年から時間の経った2001年頃。えらい時間が経ってからの話で違和感がありましたが、閑散区間の西脇市~谷川も電化するという、かなり太っ腹な投資となりました。まあ、一部区間だけディーゼル運用が残るのも車両のやりくりが面倒なんで補助金つけてくれたら電化しますよって感じで決まったんでしょうか。 ↓

(写真:社町~滝野、2023.6)

ちょうど小浜線の電化工事が2000年夏からスタート。補助金を使った電化のケースが近くで生まれたので、じゃあ、我々もって感じだったかもしれません。同じようなタイミングで播但線も電化してますからね。キハ40が1両で走っていた西脇市以北は小浜線で投入された125系の増備で賄うこともできたので、沿線自治体としてはタイミングは今しかないっていう脅迫感もあったんでしょう。 ↓

(写真:谷川~久下村、2015.4)

この加古川線ってかつてから「しくじり」鉄道で、いまだに中途半端な存在を維持。もともと加古川の水運補完で作られた民鉄で町をつなぐという発想のない路線。たとえば3路線が集まる粟生駅なんか象徴的な場所ですよね、いまだに駅前にコンビニすらない。沿線集落は少ないも朝夕の通勤通学ラッシュがる。え?どうして?みんなチャリンコで離れた市街地から駅までやってくるのが加古川線流。雨の日はちょっとたいへん。 ↓

(写真:神野~厄神、2015.4)

かつて加古川線利用者を大幅に減らしたのは1990年の鍛冶屋線の廃止。当時よく議論されてましたが、西脇の中心地は鍛冶屋線上にあり、実質加古川本線の役目をするも、当時の運輸省が決めた赤字ローカル線カウントルールで一部区間を省くなどなかったとか何とかで、いわゆる役所的な杓子定規の決め方で西脇中心地乗り入れ区間も廃止。利用者がもともと少なかった野村(現西脇市)~谷川が残るというおかしなこととなりました。当時沿線住民はかなり憤慨してたけどまだ根に持ってるかもね。 ↓

(写真:谷川~久下村、1999.9)

西脇市~谷川って、かつては黒田庄で列車交換もあったのにどんどん衰退。電化時には交換設備撤去で減便してる始末だったけど投資しちゃうんですよ。経営無視の見えざる手なのか、鶴の一声何か、官僚主義の胡散臭いも感じるんですが・・気のせいかな。もちろん、JR西の補助金目当てってのもあるでしょうね、金は従前算定でもらうが投資は実利狙いってやつ。最初は電車新造代金全部出せとかいったのかな。譲歩して2両編成はJR西が用意するから125は負担して とか・・・で、用意したのは103系という・・・うーーん、かなりいやらしいなあ。 ↓

(写真:黒田庄、1999.9)

震災後の山陽本線復旧後は西脇市以北はずっと単行が基本だったと思います。まあ、西脇から福知山線経由で大阪へ出るルートもあって需要があるんじゃないかって意見ありますが、福知山線って線形が悪くて特急もあまり早くない。電車賃も高くなるからこのあたりの人はみんな使わない。 ↓

(写真:谷川~久下村、1999.9)

それに京阪神へ直結する高速道路網も早くから整備され、特に西脇や加東あたりだと大阪方面への公共交通での移動は中国道を使った安くて速い高速バスと決まってるくらい。長距離移動での鉄道の地位がないエリアといっていいでしょう。 ↓

(写真:社町~滝野、2023.6)

そんなところを電化したんで、いくら災害代替機能付与とはいえ実需を考えると???って感じだったんですよね。まあ新しい気動車を開発投入するより電化&中古電車を活用する方が安いって話もありましたからね。なのにそのあと姫新線姫路口にキハ127系が投入されるって、あれあれあれ?みたいな・・・この頃のJR西って意思決定もいろいろ変なんですよね、結局その後福知山線でとんでもない大事故起こすんだけど。 ↓

(写真:社町~滝野、2023.6)

時間は流れて今は西脇市~谷川の存廃問題まで出てきてる始末。早くにわかってたことなのにおかしいですよね、2010年には治水対策として西脇~新西脇の第三加古川鉄橋が付け替えされかなり立派な鉄橋に。でも廃止したいって路線なのに、河川管理側のお金の使い方も間違ってるよね・・・予算が付いたら使っちゃえ!って発想そのものですが、公共投資ってたいがいそういうものになりがち。投資後の精査や振り返りは基本しないものなんで、民間ビジネス視点からだとちょっとした合法闇ビジネスにも見える。。。ま、悪意持ってやってる人はほとんどいないけど、まずいことは水に流しちゃえ発想は未来のために捨ててほしいな。 ↓

(写真:西脇~新西脇、2023.6)

で、電化で人が増えるかもって期待はありましたが、日中は電化前でも単行キハが走ってたんで・・・ ↓

(写真:粟生~小野町、2001.2)

沿線住民も増えないし変わらなかったみたい。ま、一時的に利用者減は食い止めたみたいだけどダイヤを見てもわかるように気動車時代からあんまり変わってない。加古川~厄神は宅地開発で利用者増となってますが、厄神以北は西脇市依存。北条鉄道も旅客は北条町側が多いんで粟生利用は少ない。粟生で接続する神鉄はもっと悲惨かな。スピード遅くて運賃高い粟生線で神戸へ出るなら加古川で新快速乗り換えのほうが便利で速い。 ↓

(写真:粟生~小野町、2023.6)

電化前の加古川線を知ってると、電化で設備更新でのサービス向上は享受できたけど、新型気動車でもよかったじゃんって思ってしまう。(ちなみにこの第二加古川鉄橋、トラス部分は洪水で流されたところの再生、なぜか全面付け替えはしなかったんだよね、上流の第三鉄橋はやったのに・・・) ↓

(写真:市場~厄神、2001.8)

まあ、気動車時代もひどい車両がたくさん走ってたから、電化は沿線住民にとってはものすごいアップグレードにみえたんだろうな。JR発足時はほとんど冷房車もなかったし、汚い車両ばかりだったから。ワンマン化工事で多少きれいになって、キハ20や35は淘汰されてましにはなってたけど。ただ輸送力という点では電化であんまり変わってない。 ↓

(写真:厄神~市場、2001.8)

コロナ禍はそんな加古川線に大打撃、旅客減少が加速してしまいました。朝の4両は2022年春のダイヤ改正で消滅。気動車時代から続くラッシュ時4両だったんですが・・・。朝って結構混雑するんですが、高校生はどうせ3年しか使わないし、そのあとは車に乗り換えて鉄道も乗らないんだから、将来のサービス提供なんかいらんわ ってのが本音だろうな。高校生が利用する最大の理由はバスより定期代が安いから。金の話になるといやらしいから雨の日も便利とか、いろんな理由つけてるけど、基本定期代なんですよ。でも毎日使うからなんかサービスやってよ・・・なんだけどな。。。で、そんな客軽視続けてきて今バチがあったってるんですけどね。汚い気動車時代の高校生は今の高校生の親ですから。失った信用って取り戻すのはたいへんです。 ↓

(写真:市場~厄神、2017.12)

・・・てなことで103系の話ができてない、あらま・・・長くなったので次回に続く・・・ ↓

(写真:粟生~小野町、2011.11)