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Page Start 1997.11.15 最終更新日【2013.2.18】
「国鉄魚沼線(うおぬません)
DATA
国鉄魚沼線

最終日1984年3月31日

路線営業キロ:12.6km

来迎寺(らいこうじ)
片貝(かたかい)3.7km
高梨(たかなし)7.4km
小粟田(こわだ)9.9km
西小千谷(にしおぢや)12.6km

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解説
魚沼線は、現在の信越本線来迎寺駅から小千谷町に至る路線で、路線風景はいたって単調で、田んぼが広がる田園風景をトコトコ走るといった感じです。

途中駅はどれもホームと少しの待合所があるような感じで、終点西小千谷も無人駅というさびれた路線でした。西小千谷は上越線小千谷駅から信濃川を渡って徒歩15分くらいのところにあって、小千谷市街にはあるものの、少しはずれにありました。

もともとは軽便鉄道で戦争中は運行停止。戦後の1954年に戦後復興で復活した経緯があります。本数の多い上越線が近くに走っていることもあり、なぜ存在できたかのほうが不思議な路線でした。

列車ダイヤは来迎寺-西小千谷に4往復(土曜は5往復)、来迎寺-片貝に1往復の設定がありました。完全な通学ダイヤで一般客の移動手段にはあまり使われていなかった感じです。そもそも沿線人口が一番多い小千谷の人々は列車本数の多い上越線を利用してたので、鉄道としての役割はすでになかった感じです。

廃止決定後も目立った存続活動などなく、県内の赤谷線同様にさっさと消えてしまいました。



想い出

ここでの乗車は当時走ってた長岡夜行で小千谷に到着後、信濃川を渡って歩いて西小千谷に行き、始発列車に乗車。春休み期間中とあって学生の乗車はほとんどなく、われわれと同じようにやってきた鉄道マニアしか乗ってなかったですね。

長岡夜行はただの115系電車でかなり疲れる夜行でしたが、只見線や飯山線乗車には欠かせない列車でよく使いました。途中まで最終列車の位置づけで酔っ払いが大勢のってくるのでゆっくり夜行気分を味わうことができない列車でした。そののち高速バス対抗でムーンライト号になって快適性が大幅にアップしました。


「鉄道がある風景」/RailScape
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