標津線は、1989年春に廃止された道東を貫く全長116.9kmの路線でした。現JR釧網本線標茶から根室標津までの69.4kmと、その途中駅中標津から現JR根室本線(花咲線)厚床までの47.5kmの2路線で構成されていました。
路線は根釧台地の丘陵地をアップダウンしながら進んで行きます。その様子は、先頭の車窓からよく分かり、写真もそれが良く表現できるところが撮影ポイントとなっていました。概ね車窓は原野林ばかりで、たまに畑や牧草地が見えるといった感じでした。
列車はほとんどが単行運転で、キハ22かキハ40でした。朝に3連が1本ありましたが、空席の目立つ回送列車みたいなものでした。秋になると蝦夷松の落ち葉で車輪が空転し、線路のアップダウンでかなり苦労していました。旅行中もスリップを起こして30分以上遅れることがありました。車掌さんの話によるとミミズがいっぱい出てきてスリップし、立ち往生したこともあったそうです。
この線はいつ乗っても必ず座れる線区でした。本数の少なかった厚床−中標津のほうが混んでいたように覚えています。途中の中標津は大きな町で空港もあるところだったのですが、列車を使って移動するのは地元の人にとって便利ではなかったようです。車で国道を飛ばせば2時間で釧路に着くことができ、標茶経由で遠回りする標津線には魅力を感じなかったようです。
しかも、以前は急行でしか中標津から直通で釧路まで行けず、割高な料金を取られているというマイナスイメージが鉄道にあったようです。廃止協議の時も代行バスさえ走るなら廃止は構わないというスタンスで、協議もさほど時間がかからなかったと思います。
ここでの私の思い出は、ちょうど大学生の多感な時期と重なり、たくさんの思い出がオーバーラップするところです。渡辺美里と尾崎豊のテープを聞きながら、型にはめられる生き方に嫌気をさしながら、ぼんやりと車窓を眺めて旅していました。
また、線路のアップダウンの様子の写真を撮りたくて、上武佐駅によく降りました。1度近くのペンションの人にコーヒーをごちそうになり、冬に見える四角い太陽の話をしてもらった事を思い出します。たしかミルクハウスという名前のペンションだったでしょうか。「とほ」というガイドに載ってたと思います。そこのにいちゃんは冬は儲からないから出稼ぎしに行かないといけないと言ってましたので、経営は苦しそうでした。(今でもあるのかなあ。)
上武佐駅では「駅寝」、計根別駅ではびしょびしょになった靴やら靴下やらをストーブで乾かせてもらった上、コーヒーまでごちそうになったりました。根室標津からレンタサイクルでトドワラまで自転車で行ったり・・・たくさんの思い出がいっぱいです。もう一度標津線に乗ってみたいなあ。