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Page Start 1998.2.16 最終更新日【2005.9.24】
「名寄本線」 (なよろほんせん)
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晩秋の森を行くキハ22
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解説と思い出
名寄本線は、1989年春に廃止された全長143.0kmの路線です。名寄−遠軽138.1kmと中湧別−湧別4.9kmの支線で構成されてました。ちょうどこのとき標津線、天北線という長大路線がまとめて廃止となりました。もともと名寄本線は、本線とつくだけあって、興浜南線、渚滑線、湧網線が接続していましたが、どの線区も廃止されて現在はありません。

路線はオホーツク海側をメインに走り、海あり山あり畑ありと行った感じで、その車窓はオーソドックスな北海道らしい風景でした。使われていた車両は主にキハ22かキハ40で、日中は単行がメイン、朝夕に2〜4両編成が走っていました。たまにキハ27の編成が混じることもありました。乗車率は紋別〜遠軽はそこそこでしたが、興部〜下川あたりは空気輸送といった感じでした。

この線でも天北線同様に途中の乗降場でふと降りたりしていました。雪の班渓駅で降りた時にはさすがに車掌さんに「なんかあったらすぐ傍に国道が走ってるから助けを求めなさい」といわれましたが、そこで撮った写真は今もお気に入りです。また、どの駅か忘れましたが、駅の近所の方に熱いお茶をもらったり、小向から紋別までヒッチハイクで乗せてもらったりといろんな方々の親切を受けたところです。

この路線では、同じ時期に廃止された天北線や標津線と違って、廃止直前まで第3セクターでの存続を議論していました。名寄−下川と紋別−遠軽だけを会社設立して運営しようという話がかなり具体化してました。

しかし、全線通しでないと意味がないという存続対象外となった地域の声や、沿線市町村の財政負担の問題等で最終的には意見がわかれ、結局バスが整備されるなら鉄道は要らないだろうという結論で全廃が決定しました。

すでに沿線最大の都市、紋別からは札幌や旭川への直通高速バスがありましたし、本数のある路線バスのほうが便利なところもありましたので (中湧別−湧別は1日2往復しかなかった)、地元の人にとっては、鉄道がなくてもそう痛手にはならなかったのでしょう。でも、個人的にはもう少しがんばって存続してもらいたかったですね。

途中の北湧駅の近くには、春になるとチューリップが咲き乱れるところがあり、春になるとあそこで写真を何で撮らなかったんだろうと悔しくなります。今となってはもう無理ですが・・・

所属 JR北海道
対象線区名 名寄本線(全線)
廃止区間/最終日 名寄−遠軽 138.1km、中湧別−湧別 4.9km、計143.0km
/1989年4月30日最終日
区間内駅数 駅数 31、乗降場 9 (→JR時代に駅に昇格)
区間内駅名 名寄、中名寄、上名寄、矢文、岐阜橋、下川、二ノ橋、(幸成)、一ノ橋、上興部、西興部、(六興)、 中興部、(班渓)、宇津、北興、興部、(旭ヶ丘)、豊野、沙留、(富丘)、渚滑、潮見町、紋別、 元紋別、(一本松)、小向、(弘道)、沼ノ上、旭、川西、中湧別、(北湧)、上湧別、共進、開盛、 北遠軽、遠軽、(四号線)、湧別


「鉄道がある風景」/RailScape
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