国見山三重鉱山
下部軌道:国見山鉱山~吉津港 約3.0Km
三重県南伊勢町
1934 操業開始
1993 輸送系近代化で上部軌道コンベア化、下部軌道のDL化
2000 中部国際空港埋立用砕石受注、下部軌道コンベア化決定
2001.1. 下部コンベア本格始動
2002 中部国際空港埋立完了、鉄道部分廃止確定
線路跡地図(マピオン) MAPION Map
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国見山三重高山の鉱石運搬鉄道は三重県南伊勢町(旧南島町:2005年10月1日に隣の南勢町と合併して名称変更)吉津にあった、その筋では有名な鉱山鉄道でした。運搬されていたものは石灰石で、鉱山から積出口である吉津港までの約3Kmを結んでいました。運転は平日のみで日中1時間間隔ほどで行ったり来たりの運転を行っていました。 俯瞰で見る鉱山鉄道 |
2000年に中部国際空港の埋め立て用600万立方㍍の砕石を受注、鉄道輸送だけではまかないきれないのと、周辺への環境対策や安全対策から、輸送路をベルトコンベアー化することに決定し、2001年1月からコンベアー輸送が始まりました。
空港需要の輸送増に対応すべく鉄道施設も当面併用する予定でしたが、ベルトコンベアーが完成してからは列車はほとんど走らず、2002年に中部国際空港の埋め立てが終わったところで事実上の廃止となりました。
この鉄道はなかなか写真に収めることができなかった手ごわいところでした。土曜日は運転しているという情報から土曜午前狙いで2度訪れましたが撮影できず、平日休みを取って掲載する写真がやっと撮れました。
線路のある南島町は車のアクセスもたいへんで、伊勢道玉城インター(当時はまだ開通してなかった?)から車で2時間弱、地元に人がよく使う能見坂トンネル経由の比較的まっすぐな道を経て、くにゃくにゃの国道260号線を走ってやっと到着するようなところにありました。南島町まで至るこの国道、200番台でありながらリアス式海岸沿いを走るためカーブが多く、途中1車線のところもあって運転が疲れます。
海を横目に伊勢側からへばりつつ、運転疲れたなあという感じになってくると吉津。街中に入るちょうどその場所にレールとの交差があり、こいつだということがわかります。
鉱山はここから伊勢地川沿いに上がった山手のほうにあるのですが、道がとても細く、集落も入り組んでいて、こりゃ、鉄道でなきゃ出せんなって感じのところです。鉱石の積み込みは鉱山からベルトコンベアーで運ばれてきた鉱石をホッパーでがさっと貨車に落とし込むスタイルで、ヤードもなく、単にDL+貨車がレールの上をいったりきたりする、単純な構造になっていました。
列車の編成は海側にDL、山側に向かって白の10両の貨車という組み合わせで、機回しが不要となるよう、貨車の最後部には監視台が設置されていました。(鉱山への回送時は運転制御はDLに運転士が乗り、目視監視を監視台から無線を使って指示)
DLは2両(D505、D507)もっており、どちらも新日鐵広畑からやってきたものです。もともと製鉄所内運搬鉄道用DLとして活躍していたもので、前面に衝突防止用?のグレーのマスクがある、すこし強面の顔つきのDLでした。
もともと、ここの牽引機はEL(南海電鉄から譲ってもらった)だったのですが、1993年の施設近代化で老朽化したELを新日鐵からのDLに更新、併せて鉄道も非電化となりました。訪問当時も以前の電化のなごりとして架線柱がところどころに残っていました。また、ちょうどこのころ上部軌道もコンベア化されているようです。実際の採石場は山の中腹~国見岩にあり下からは見えません。
海側の積み出し口は桟橋=出荷口のような構造になっていて、列車が到着すると一気に貨車から鉱石が下に落ちる構造になっていました。それをコンベアで船に積み込んでいくという具合で、鉱石をおろしたらすぐに鉱山にもどり、再び石を積んで港に来るということを繰り返してました。
それから他の特徴として鉄道と公道とが交差するところは普通の鉄道踏切ではなく、国道との交差部分は踏み切り信号、他の交差部分は無線で列車が近づけばパイロットランプと音声が流れる装置がつけられていました。目視で確認を行っていくため列車スピードは遅く、追っかけも安全に行うことができました。
現在はレールの撤去が進んでいるようで、路盤も草むらに埋もれる日もそう遠くない状況のようです。途中伊勢地川沿いの桜並木にレールが延びているところがあり、ここで撮影をしたかったのですが、4度目の訪問時はウヤ、5度目はコンベア化完了で列車は走らずと、不完全燃焼で終わってしまいました。
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