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Page Start 2008.7.11 最終更新日【2013.1.20】
「西日本鉄道 北九州線 黒崎駅前~折尾
DATA
西日本鉄道 北九州線
最終日
・門司~砂津(24.3km)
 1985年10月19日
・砂津~黒崎駅前(12.7km)
 1992年10月24日
・黒崎駅前~折尾(5.6km)
 2000年11月25日


各駅

門司、東本町、鎮西橋、桟橋通、広石、風師、葛葉、二松町、片上、小森江、市立門司病院前、大里東口、大里、門司駅前、原町、社ノ木、新町、赤坂、上富野三丁目、上富野一丁目、砂津、米町、小倉駅前、魚町、室町、大門、竪町、金田、下到津、歯大前、到津遊園、遊園前バス営業所、昭和、七条、荒生田、三条、大蔵、上本町、中央町、春の町、尾倉、八幡駅前、製鉄西門前、前田、桃園、陣山、紅梅、藤田、黒崎駅前、黒崎車庫前、西黒崎、熊西、皇后崎、陣の原、折尾東口、折尾
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解説
西鉄北九州線 黒崎駅前~折尾は西鉄の北九州の路面電車として最後まで残っていた区間で、廃止後の代替駅となるJRの新駅が開業したことから2000年11月26日付で廃止となりました。筑豊電鉄とは熊西までは供用区間でしたが運転終了前は運行自体筑豊電鉄が行っていました

廃止区間は正式には熊西~折尾で黒崎駅前~熊西は現在筑豊電鉄の路線として使われ、この区間は法的には西鉄北九州線として残っていますが、列車の運行・管理は筑豊電鉄管理下となっており、名前だけの存在で事実上の廃止となっています。

この西鉄北九州線は明治時代に開業した歴史ある路線で、かつてはこの北九州線とあわせ、戸畑線、枝光線、北方線を総括して北九州市内線とも呼ばれる大規模な路面電車網を持っていました。京都市電全廃後は一時日本一の規模を持つ路面電車として君臨するほどでした。

路線の廃止はまず北方線からスタートします。市内の交通混雑対応としてモノレール化構想が浮上し、まず軌間が違った北方線から取り組みが始まります。1980年11月1日付けで北方線は廃止され現在の北九州高速鉄道に置き換えられます。ただそれ以降は膨大な建設予算の問題から市内全体でのモノレール化構想は頓挫します。

一方で不採算の市内電車を西鉄はバス転換したく、また、増える自動車対策として路線の廃止が始まります。 まず、旅客数が落ち込んでいた北九州線門司(現在の門司港辺り)~砂津と国鉄と路線が重なっていた戸畑線、枝光線が1985年10月20日付で廃止となります。これで路線の大半を失ってしまいます。

さらに残る区間の廃止が検討され、1992年10月25日付で砂津~黒崎駅前が廃止されます。ただ、専用軌道で道路事情に問題があった黒崎駅前~折尾はこのとき廃止を免れます。

ただ、わずかな路線となったため、1995年4月からは運行管理を筑豊電鉄に委託し西鉄は直接の経営から撤退、事実上筑豊電鉄の枝線のようになります。

当時並行するJRにはまだ485系特急も健在でした。 その後、JR黒崎~折尾間に陣の原駅が開業し、代行バスの条件も整ったことから、2000年11月25日を最後にその営業に幕を閉じました。 最後まで残った区間は専用軌道だったため、結構なスピードで走り、吊りかけモーターがウンウンうなっていい感じでした。

なお、晩年の車両の色は、従来のエンジに白帯(その前は下が茶色で上がクリームのツートン)のものから1986年から始まった冷房化対応車用塗装(白地に赤・青帯)に変えられたものが最後まで走りました。

※西鉄戸畑線をこちらのページで紹介しています。




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