JR片町線 京橋~片町
大阪市都島区
京橋~片町 0.5Km
最終営業日
1997年3月7日
非電化区間:
木津~長尾
最終日
1989年3月10日
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大阪市内を横断するJR東西線開業まで、学研都市線京橋駅から西へ一駅片町駅までの線路がありました。学研都市線は正式には片町線という名前ですが、駅の案内表示などすべて学研都市線という名前になり、片町線という名称自体、関西の方も聞かなくなったと思われます。
この片町線は木津~長尾の電化以前は、電化区間がオレンジの101系と103系の混成、非電化区間はキハ35や20、40の混合編成という、今では考えられない運行形態をとっていました。民営化に合わせて懸案事項だった近代化を開始。京阪と近鉄(京都線)に対抗すべくバージョンアップを図っていきます。
1988年に快速運転を開始。1989年には木津~長尾の電化と松井山手駅新設ならびに松井山手~長尾までの複線化が完了。1986年に同志社大学の一部田辺移転で開業した同志社前駅にやっと電車が通りました(同校生徒には不便な路線の冷房なしディーゼルカーが走ると大不評だった)。
1991年には東西線乗り入れを見越して207系電車が投入され、1996年にすべて置き換えが完了。1997年東西線開業により、東海道線(JR神戸線)と福知山線(JR宝塚線)への乗り入れとなりました。今の姿は昔の記憶が強く残ってる方には驚愕の変貌といったところでしょうか。
廃止区間(京橋~片町)
京橋~片町は駅間0.5kmと、両駅ホーム端からお互い見えるような距離にありました。片町駅は突っ込み型の2線1面のホームと、留置線2本からなる構造で、駅舎も2階建て?だったかうる覚えですがちゃんとした建物がありました。
1991年に東西線建設のため取り壊され(写真撮りに行けなかった・・・)、留置線側に仮設ホームと駅舎が作られ、もとホーム・駅舎部分は東西線の地下入り口となりました。
ラッシュ時に京橋始発着があったのですが、片町駅のホームさばきができないため、留置線へ引っ込んで京橋へ戻すような運用がありました。
この片町駅、どの鉄道にも連絡がなく、周りもビジネス街というわけではなかったので利用者数は結構少なかったと思います。
最終日は東西線開通前日の1997年3月7日。長い歴史に幕を下ろしました。跡地は駐車場などになっているようです。
非電化区間(木津~長尾)
今とは想像できない変貌を遂げた区間です。キハ35や20、よくて40・47という、ボロボロ気動車が集められていました。当時は奈良線や関西線も奈良以北は電化されてなかったので、このあたりで使われた気動車が回されていました。
近郊区間に入ってましたが驚くほどローカル風情が残っていて、運転本数も日中1時間1本とまったくやる気なしのダイヤでした。夏場は冷房なしの薄汚れた車両で、かつ、田辺あたりでは快適な近鉄電車を横目に、遅いディーゼルカーがのらりくらり走っていたのですから、乗らなきゃ仕方ないという人だけが乗る乗り物という感じでした。
途中田辺(現京田辺)で列車交換ができるようになってましたが、朝夕だけの列車交換だったと思います。たいていの駅が無人駅で、今のエレベーター装備の駅ができるなんて思いもよりませんでした。やる気出せばこんだけかわるんだ という典型的な事例ですね。
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