国鉄可部線
旧型国電:
1984年9月1日
横川~可部
|
|
《GALLERY》
PHOTO→
TICKET→
STAMP→
可部線横川~可部(電化区間)には、デイリーの運用で西日本に最後に残る72系旧型国電が走っていました。鶯色にオレンジのラインという、少々ダサい色調で最後のお勤めに励んでいました。
1984年に105系にすべて置き換えら、オレンジ車体のパンダ顔の電車が走りだしました。一足先に105系に置き換えられた福塩線、宇部線、小野田線は黄色に青帯という配色の車両だったので、こちらはイエローパンダ、可部線はオレンジパンダとも呼ばれたりしてました。
現在は広島105系色をまとい、新造105系と元常磐線103系改造の105系とが混在で使われています。一時は103系も使われてましたが今は淘汰されています。平日朝夕は113/115系が入ったりし、これらは基本、山陽本線・呉線共通の運用になっています。
当時は旧国最後の牙城であった飯田線が近代化され、身延線・仙石線アコモ改造車を除き小野田線支線とこの可部線だけが旧国という状況でした。可部線は今と違って独立運用で、朝のラッシュ時のみ山陽本線の海田市まで走るというダイヤでした。
可部線旧国の外観は薄汚い鶯色でしたが、中は木質調でコテコテの旧型電車でした(さすがに床は塩ビ?仕様になってました)。通勤用なのでオールロングシートでしたが、モーターの吊り掛け音はけたたましいく、スタート時のウゴォーオーという響きがとてもよかったと記憶しています。日中は2両で、朝夕に4両となり、車両不足は気動車でカバーする感じだったでしょうか。当時はまだ今ほど沿線の宅地開発が進んでなくて、のどかな田舎の支線のような感じでした。
車庫は可部線独立運用ということだったのでしょうか、横川駅にあったと思います。可部駅にも留置線があり、気動車の留置もやっていましたね。
思い出
可部線の最初の訪問は、旧型国電車両がなくなるということでこの写真撮影のために訪れました。旅費は最低プライスのお決まりの18きっぷを使ってでしたが、山陽本線に夜行がなく、宿代を浮かすためにわざわざ宇高連絡船をかませて撮影に言った記憶があります。
また当時は可部線は末端の非電化区間の走破が難しく(今は廃止されてしまいましたが)、乗り潰しに手こずったものです。午後発の列車で三段峡へ行って、そのあと広島まで戻ると夜になり1日がつぶれてしまいました。そのまま高松へ移動し四国の夜行で高知や松山へ移動するプランを使ったりしましたね。
|