阪急宝塚線三国駅周辺旧線
最終日2000年3月19日
路線営業キロ:-0.1km
|
|
阪急宝塚線十三の北、新幹線との交差部分あたりから三国駅を経て庄内、服部に至るまでの高架区間は、高架化に併せて一部新線に付け替えられた区間です。新線部分は三国駅あたりで、高架化前は現在の三国駅の東側に駅と線路が走っていました。
もともとの三国駅は神崎川に直角に鉄橋をかけるべく、十三側からの線路が手前で大きくカーブし、またそのカーブ部分に三国駅もかかっていたことからすべての列車が徐行運転となる、ボトルネックとなっていたところです。
駅の歴史は古く、宝塚線開業時からの歴史ある駅で、神崎川の鉄橋もその当時作られたものが廃止まで使われていたそうです。地元の人曰く「小林一三(今の阪急を作り上げた関西では有名人)がつくった鉄橋なんやで」という、有名な鉄橋だったそうです。
新線切り替えは90年代にスタート。新線の用地買収などで時間がかかり、まず1998年7月に下り線が新線に切り替え。しばらく三国駅が上下離れて存在することになりましたが2000年3月20日に上り線も新線に切り替えられ、現在の姿となりました。
旧駅はこれにあわせ2000年3月19日をもって営業終了となり長い歴史に幕を下ろしました。
なお、新線切り替えに伴って宝塚線の路線長が0.1km短縮となりました。またこれに併せてダイヤ改正が行われ全線でのスピードアップが図られるとともに、これまで三国駅に停車していた準急、通勤準急は通過扱いに変更となりました。
ちなみに歌手のaikoが歌う「三国駅」はこの旧駅の三国駅です(たぶん)。繁華街はまだ旧駅サイドに残っていて、典型的な関西の駅前商店街風景を拝めます。駅前の再開発も進み、また旧鉄橋も完全撤去され、当時の雰囲気はほとんどなくなりました。車窓からは旧線の名残として、三国駅南側に保線研修用に架線柱を数本残しています。
|