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Page Start 1997.10.29 最終更新日【2000.9.24】
「南海電鉄 平野線」 (なんかいでんてつ ひらのせん)
南海電車の丸いサボが平野線でも共通のデザインだった
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解説と思い出
南海平野線は現在の阪堺電気軌道今池から分岐し、同軌道阿倍野を経て平野にいたる路線でした。地下鉄谷町線の延伸とともに1980年11月27日をもって運転終了、翌日廃止となりました。廃止同日には地下鉄谷町線開業となっています。

平野線の廃止はもうずいぶん昔で私が中一のころでした。写真は初めてカメラをもって出ていった時のものです。写りは当然よくありませんが、私個人としては懐かしいものばかりです。

ところで、平野線には阪堺線(平野線廃止前まで南海阪堺線だった)よりちっちゃな電車が使われており、ワンマンではなく車掌が切符を売ってました。この廃止2年くらい前だったと思いますが、上町線、阪堺線がワンマン化され、車掌や乗車券発売所がなくなりました。

当時、このちんちん電車が好きで、がま口抱えた車掌が切符を売りにくる姿や運転席のすぐ傍にいってマスコンをカチャカチャする姿を真似ていたことをぼんやり覚えてます。ちょうど府営浜寺プールの水練学校に通っていたころでした。とにかく阪堺電車はよく利用しました。乗り換え券もたくさん集めてましたし。また、平野線に乗って股ヶ池にタナゴとカラス貝を採りによく出かけたものでした。

平野線の運行系統は、えびす町発と天王寺駅前発の2系統がありました。上町線、阪堺線からの直通は天王寺−阿倍野と恵比寿町−今池のみ、早朝深夜に我孫子車庫から列車を繰り出すという方法だったと思います。終点平野にも留置線があって車両が寝泊りしていたと思います。

平野線での限定使用の200番台の小型車は、緑の車体に茶色の窓枠という歴史を感じさせるいい配色でした。ラッシュ時には上町線でも使われてました。うち何両かはワンマン工事化され、平野線廃止後もしばらく上町線でラッシュ時のみ走ってました。今は廃車されてないはずです。

この平野線だけでなく阪堺電車全体通して、当時今みたいな広告車が少なく、緑一色や雲柄が多かったです。緑一色になる以前は、上が国鉄急行色の黄色、下が南海グリーンというツートンカラーでした。

あの頃は車両によっては木貼りの床でレトロ感があったのですが、今の阪堺電車は内装もペンキべっとり塗り付け、広告車両ばっかり、新車の投入など、すっかり変わってしまいました。特に旧型車の昨今の気持ち悪い塗色を当時の緑一色の配色に戻してもらいたいものです。

今の平野線は道路かなんかになって、痕跡がほとんどありません。旧平野駅舎はもうなくなったそうです。


所属 南海電気鉄道
対象線区名 平野線(全線)
廃止区間/最終日 今池−平野 5.83km/1980年11月27日終了
区間内駅数 駅 11
区間内駅名 今池、飛田、阿倍野、苗代田、文の里、股ヶ池、田辺、駒川町、中野、西平野、平野


「鉄道がある風景」/RailScape
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