JR池北線 池田~北見 140.0km
1989年6月3日 JR運転最終日
1989年6月4日
第三セクター化
2006年4月21日 全線廃止
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池北線は道東十勝の池田から北見までを結んでいた路線で、JRでの廃止後は第三セクター北海道ちほく高原鉄道に引き継がれ、最終的には2006年4月20日まで運行されていました。
JR/国鉄時代は北海道赤字長大4路線の1つとして廃止を宣告され、他線同様廃止が検討されましたが、途中、陸別と置戸のサミット越え部分の冬季道路確保の問題や、北見~訓子府でのそれなりの需要もあったことから土壇場で第三セクター化が決定。晴れて存続となりました。
この池北線も他のローカル線同様、キハ22やキハ40が主力ディーゼルカーで、基本単行運転、朝夕ラッシュ時は2~4両で運行されていました。陸別~置戸は人家もほとんどなく、通しで運転される列車は極端に少なく設定されていました。
かつては線内を急行も運転されていましたが、晩年は優等列車はなく、単なるローカル線となっていました。
途中にあった駅舎は木造の渋いつくりの北海道らしいのが残っていましたが、第三セクター化時に手を入れられたところが多く、JR/国鉄時代とは少し雰囲気が変わってしまっていました。
細かな沿線風景についてはまた別途、北海道ちほく鉄道編で紹介したいと思います。
思い出
ここへは第三セクターで残るからということであまり突っ込んで訪れていませんでした。車窓は田畑と白樺林の中を進む少々退屈な風景で、見どころがあまりありませんでした。
途中下車もあまり積極的にせず、足寄では松山千春の実家を見に行って、銭湯で一服・・・あとなんかあったかなあ・・・愛冠駅で列車待ちが暇で友人と長い夜ぅ~を熱唱してたっけ?
そうそう、旅行中のエネルギー補給場所として本別は何かと活用してました。当時コンビニがなく、駅前にあったこがねちゃん弁当は重宝しました。駅前すぐにほかほか弁当があるところって、あまりなかったので、安いのり弁当大盛りをゲットできたここは大事なところでした。同様に大楽毛駅もそんな使い方してたなあ。
とにかく学生時代は金がなかったので、食パン1斤買って腹に入れて水で膨らませたり、ついでにパン屋でミミをタダでもらって食いつつ、節約できたらこうした弁当屋で高カロリーのものを食うという、すごいことをやってました(とてもひもじかった~)。
社会人になってお金をちゃんと得れるようになってからは車を使っての撮影や旅行ができるようになりましたが、このころはほんとなけなしの金をやりくりして旅行していたので、写真1枚1枚も重たいです。でも、経年でネガが変色しだして・・ちょっと腹立ちますね~、20年以上経つと急に劣化してきました。安い現像所で処理してたからかもしれませんね。
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