・国鉄美幸線
・美深-仁宇布 21.2km
・1985年9月16日最終日
・駅数 4
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美深、東美深、辺渓、仁宇布
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美幸線は宗谷本線美深から東にある仁宇布の集落まで伸びる、戦後作られた新興路線でした。この路線は名前のとおり、美深から枝幸までを結ぶ路線として計画されましたが、その後の国鉄赤字問題で建設は中断されます。
もともと沿線住民が少なく、さらに目的の途中で路線が行き止まっているので、毎回国鉄赤字ローカル線リスト上位3位に入っていました。
空気を運ぶ列車は国鉄職員の研修列車と揶揄され、国鉄改革が叫ばれていたときは、不採算路線の象徴としてよくテレビで登場しました。その赤字を逆手に沿線の美深町長が観光アピールのため東京まで来たこともありました。
私が乗車したとき、車内は鉄道マニアがほとんどで、地元のお客さんはほんの2~3人だったと思います。大阪環状線とほぼ同じ距離(500メートル短い)の路線で、この数では廃止はやむを得ないでしょう。
路線は美深を出ると原野をひたすら走ります。沿線にはこれと言った大きな集落はなく、終点の仁宇布も十数軒の小さな集落があるだけでした。観光地も松山湿原ぐらいで(といっても仁宇布からかなり距離がある)特に何かがあるというところではありませんでした。
廃線間際は1日4往復走り、キハ22の単行で運転されていました。
現在線路跡は草木が茂り、築堤や鉄橋跡が見えなければわからなくなっています。ただ、終点の仁宇布付近はトロッコ王国として路盤が活用され、廃線跡を使った自走式トロッコを走らせているそうです。(詳細不明)仁宇布駅跡には、鉄道が通っていたという石碑も立っています。
写真は美幸線に加え、美深駅での駅撮り写真もつけました。荷物列車に客車1両をつけた列車が、当時宗谷本線で活躍していて、名寄から美深までそれに乗っていったのを覚えています。
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