有田鉄道
和歌山県有田川町
藤並~金屋口 5.6Km
藤並-田殿口-下津野-御霊-金屋口
1915年5月28日 海岸~下津野 開業
1916年7月1日 下津野~金屋口 開業
1944年12月10日 海岸~藤並 休止,1959年廃止
2003年1月1日 藤並~金屋口 廃止
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有田鉄道は紀勢線藤並駅から東に伸びるミニ私鉄で、5.6kmの短い距離を晩年は1日2往復という、鉄道としての終わったかのように細々と営業していました。路線は単調で途中交換駅もなく、途中駅も3つだけの質素な鉄道でした。
もともと路線は湯浅(海岸)~金屋口で開業、その後紀勢線と平行する湯浅~藤並は戦時中の不要不急路線として1944年に休止(1959年に正式廃止)。戦後、湯浅まで国鉄に乗り入れる形で運行が再開となりました。ただ、信楽高原鉄道の列車衝突事故を機に紀勢線への乗り入れを中止。晩年は藤並~金屋口の社線内運行となりました。
車両は国鉄急行形車両風のキハ58が3両ありましたが、これは富士急行が国鉄乗り入れ用に持っていた車両を譲り受けたもので、ミニ私鉄にしてはごつい顔つきの列車でした。
湯浅まで乗り入れてたときは、下津野にある県立高校の生徒たちを運ぶべく、3両編成の運用も朝夕にあったのですが、その後これら車両の大きさに見合う乗客もなくなり、1996年に老朽化対応として樽見鉄道で不要となったレールバス(ハイモ180-101)を譲り受けメインのキハ58からバトンタッチ。地方私鉄らしい第三セクターっぽい雰囲気に変わりました。
車庫は終点の金屋口にあり、適当に車両を置いてるような、何か農家の車庫のような感じがありました。
また、以前はみかんなど全国発送すべく貨物列車も運行されていましたがトラック化で1982年2月に貨物輸送を廃止、国鉄再編前にはすでに貨物輸送はなくなっていました。
この鉄道、晩年は1日2往復の運転となり、しかも午前中と昼前後だけの運行となっていました。午前中もラッシュ時間帯ではなく、形だけ運行していたといってもいいくらいでした。また日曜祝日は運休(土曜日は変則運休)という設定で、とてもやる気があるとはいえない状況でした。レールも相当くたびれ、廃線と変わらない状況でした。
以前は田殿口にある県立有田中央高校の定期旅客を見込み、朝夕に列車の設定をしてましたが、バス共通パスを出すとともに運転本数を徐々に減らし、2001年からは通学向けを完全バス転換すべく朝夕の通学時間帯の便を廃止。その後は廃止のタイミングを伺っていたようです。
実際、通学時間帯の便を廃止して以降乗客はほとんどなく、土曜・春夏冬休みに鉄道マニアがちらほら乗るという状況でした。そして2002年大晦日、約90年に及ぶ歴史に幕を下ろしました。
現在は終点の金屋口が保存施設として残され、また途中の線路跡も遊歩道などへ整備されました。藤並駅などのホーム上にあった駅舎はまだあるようです。
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