![]() 現在の内灣線についてはこちら 新竹~竹中 基点の新竹駅は、ほとんどの列車が中央ホームの北端にある専用ホームから発着していました。かなり隅っこからの発車で列車の接続がいいとみんな走って乗車したものです。 発車してしばらく走ると線路が右へ曲がり、山へ向けて進んでいきます。沿線の住宅開発が進んでいるのですが、縦貫線から外れるあたりは一面の田んぼが広がり、ごちゃごちゃ感がありませんでした。次の竹中までは駅間があり、10分かけての到着となります。竹中駅は1線1面の駅でしたが駅舎がありました。 六家線は竹中から少し先の高鐵高架手前で分岐となり、そこから先はこれまでどおりの非電化単線区間となります。竹中までの間には3つの駅(北新竹、世博(千甲)、竹科(新莊))が新設され、沿線風景は一変しました。 セメント貨物列車 内灣線にはかつて2大系統のセメント貨物が走っていました。1つは竹東にある台灣水泥向け、もう1つが九讃頭にある亞州水泥向けで、24時間運転のダイヤが組まれ、列車が集中する竹東~九讃頭は旅客列車も十分に走れないような状況でした。 ![]() 合興の積み込み上は本線から引込み線に入り、そこでホッパーから貨車へ落として受け取るというもので、採石鉱山から送られてくる原石を貨車2両(だったと思う)毎に貨車を少しずつ動かして積み込んでいました。 合興はこの引込み線が待避線の役目も果たしていたことからここでタブレット交換を行っていました。駅舎からは離れていたため駅員詰め所がそばに設けられていました。 また合興はスイッチバックの駅で、ダイヤが乱れるとまれに貨物列車がスイッチバック待避線へ入ってくることもありました。晩年は旅客列車同士の離合は行われてなかったようです。 積み込みが終わった列車は山を降り九讃頭に到着。タブレット交換を行い、貨物列車または旅客列車との交換も行います。ここからは竹東まで一旦走り、竹東で簡単な入れ替えを行い(基本は行わない)、機関車を付け替えて台泥専用線に入り原石を運び入れます。荷おろしが終わると竹東へ戻り、次の出発を待ちます。 一方出来たセメントは専用線から竹東へ送られ、そこからセメント列車を仕立てられ縦貫線へと送られていました。ここの専用線は台鐵のDLがそのまま乗り入れていたと記憶しております。 2000年9月に鉱石ゴンドラの老朽化等で採石場が閉鎖され、併せてセメント出荷のトラック化もあって台泥系統は全廃となってしまいました。 亞州水泥の運用は原石自体は九讃頭の工場裏山からの掘り出し(空中ゴンドラ利用)でまかない、一部足りない原石を工場へ送り込むため貨物列車を使っていました。新竹~九讃頭は24時間運転のダイヤが組まれ、一時は旺盛な行き来もありましたが、晩年は不況も重なって生産量が落ち、六家線建設を機に廃止となりました。 新竹からの列車は北廻線から運ばれてきた原石を新竹で受け取り、DLにて九讃頭と往復しておりました。セメント列車の送り出しはしておらず、石炭列車風のオープン貨車に車掌車(緩急車)をつけ平日3~5往復運行されていました。 なお、内灣線へそれぞれの工場から接続されていた専用線も貨物廃止を機に廃線となっています。 |
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■新竹 |
・発車ホームは台北寄りの端っこから。ギリギリ乗り換えはちょっとむずかしいかったです。路線改良後はもっとまともな場所から発着できるようになる予定。 1 2 -2002.9.23
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■新竹-竹中 |
・ここは田畑が広がるいい感じですが、意外と内灣線には少ない風景でした。新竹駅から30分ほどのところですが、このあたりはガチガチに高架化されすっかり風景が変わってしまいました。 1 2 -2002.9.23
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・貨物列車には緩急車がつけられ一昔前の貨物という感じでした。
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1 2 3 4 -2002.9.23
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・以前のこうした様子を記憶している方は電車化で変わった姿を見るとびっくりしてしまうでしょうね。このあたりの田んぼも宅地化されるようです。
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■九讃頭 |
・セメント工場からの貨物扱いがあるのでやや広いヤードを持ってました。タブレットは竹東~内灣で使われ、貨物扱いのあるこの駅でも列車到着時にタブレット交換が行われました。腕木式信号、貨車の入れ換えなどを見ているとちょっと昔の筑豊地方の田舎駅って感じで懐かしいかったですね。六家線完成後にはこのタブレットもなくなるとの噂です。 1 2 3 -1999.7.19 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 -2002.9.23
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■合興 |
・台灣唯一のスイッチバックのある駅でした。貨物発着があったときは写真にあるタブレット交換が行われてました。構内が狭いため入れ替えは少々苦労するところでした。 1 2 3 4 5 6 -1999.7.19 |