解説

上砂川支線はJR発足後に廃止となった路線で、函館本線砂川駅から東へ伸びていました。 砂川駅からはすでに廃止となった歌志内線も分岐し、両線から集められた石炭をさばくため、構内も広めに作られ、今も駅の西側にがらんとした空きスペースを見ることができます。

また終点上砂川駅は映画のロケで使われ、ドラマの中の駅名「悲別(かなしべつ)」が、駅名標に書かれたままになっていました。

この路線の丘向こうに、平行に歌志内線が走っていましたが、私の記憶では、上砂川支線よりも歌志内線のほうが輸送密度が高く、存続可能性が多少なりともあったのですが、上砂川支線が函館本線の支線であったということで営業収支が本線と一緒になったため、廃止対象路線からはずされていました。いかにもお役所的判断です。

ただ、残ったといってもこの区間に関しては赤字路線には変わらず、結局数年違いで同じように廃止となりました。また「赤字路線は廃止します」というJR北海道の意思表明とも取られ、留萌本線や札沼線、江差線などの末端部が廃止されるのではと噂された時期もありました。


思い出

上砂川支線には3回訪れています。最初の訪問時はまだ出炭していて、石炭列車が走っており、砂川駅は貨車で非常ににぎわった状態でした。

2度目は列車の乗り継ぎで時間が余ったので寄りました。炭坑が廃坑となった後で、貨物ヤードに雑草が生える寂しい光景を覚えています。なくなるというのは寂しいものだなあと広大なヤードを眺めてぼんやりとしていたのを覚えています。

3度目は深名線の撮影の合間で立ち寄りました。ちょろっと寄っただけで、ろくな写真が撮れず、ただいま後悔しております。後でいいやって思ってなくなっちゃうってこと、結構あるんですよねえ。


#廃止後の上砂川線保存施設についてはこちら


PHOTO GALLERY

■砂川

・かなり広い構内の隅っこに専用ホームがありました。

   -1988.9.1  -1985.3.8

■鶉

・途中駅でしたがちゃんとしたホームがありました。駅舎はありましたがお店になってました。車掌車は待合室だったと思いますが失念。

   -1993.10.8

■東鶉

・うずら続きの上砂川寄りの駅。ホームと駅名標だけの簡素な駅でした。

   -1988.9.1


■上砂川

・初めて来たときにはまだ石炭列車が走ってました。

     -1985.3.8

・2回目時はすでに炭鉱は閉山。広い構内は悲別~って感じでしたね。

    -1988.9.1



・ドラマのロケは相当昔でしたがロケ地という売りは廃止前までやってました。駅舎は結構立派なつくりでした。

   -1988.9.1


・廃止直前での訪問時にはすっかりさびれ、別の意味での終着駅らしさが漂ってました。駅舎は廃止後曳家されましたがそのまま保存されています。

     -1993.10.8

▲TOP