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もうすぐ見納め!仙石線205系③

最後、仙石線103系時代のご紹介。陸前大塚周辺の撮影ポイントでいくつか収めてました。今はこのあたり、護岸工事や線路付け替えでそのほとんどが撮影不可になってしまってますが・・・↓

(写真:東名~陸前大塚、1999.3)

旧型国電だらけだった仙石線に103系高運転台車が登場・・・ではなく、72系の車体をアコモ改造したインチキ103が103初期車と一緒に走っていた国鉄末期。金がなくて新車が入れられず・・・地下化前の仙台駅の一コマですが、こいつの吊りかけ音はかなりの爆音だった記憶があります。↓

(写真:仙台、1985.3)

JR化後はスカイブルー1色塗装からホワイトベースにブルー系ラインが入る仙石線カラーに。インチキ103も淘汰され、首都圏103の後期製造車両が入ってきました。↓

(写真:陸前大塚~東名、1999.3)

仙台石巻快速は「うみかぜ」の名前をもらってましたね。↓

(写真:陸前大塚~東名、1999.3)

ここはかつての鳴瀬川鉄橋ちかくの築堤。↓

(写真:陸前小野~野蒜、1999.3)

2000年6月に現在の新しいコンクリート橋に更新されるんですが、かつてはいかにも私鉄っぽい鉄橋だったんですよ。(ここ、当時更新されてなかったら津波で流されてたんだろうなあ・・・)↓

(写真:陸前小野~野蒜、1992.8)

沿線も宅地開発が進み、ここ、仙台臨海鉄道との交差部分って今は後ろにマンション、手前は新興住宅地となってまったく様子が変わってしまってます。もちろん撮影にも不向きな場所となってしまってます。↓

(写真:多賀城~中野栄、1999.3)

この2000年あたり、仙台駅地下化もあって?車両カラーの更新が始まったんだっけ?塗装をライン状ではなく、ドアにて色を強調する塗分けに順次変更されていきます。なんとなく水戸岡チックですね。↓

(写真:陸前大塚~東名、1999.3)

鳴瀬川鉄橋ちかくの築堤ですが、当時から撮影しやすいところってあんまりなかったなあ。↓

(写真:陸前小野~野蒜、1999.3)

こちらは付け替え目前の鳴瀬川鉄橋ですね、撮影していた堤防上のすぐ後ろは真新しいコンクリート橋が出来つつありました。↓

(写真:陸前小野~野蒜、1999.3)

当時のうみかぜは3パターン、仙台=石巻ノンストップ、快速運転、高城町以東各停の実質区間快速 があって、ピンクうみかぜは区間快速の快速。↓

(写真:陸前大塚~東名、1999.3)

高城町以東は利用者がガクッと減るんで、石巻までの区間にはヘンテコ105系やキハを走らせたり、いろいろ苦労してたところでしたが、結局地下化以降はピンク快速が多数を占めるダイヤに落ち着いた感じなのかな・・・↓

(写真:陸前小野~野蒜、2002.11)

このあたりは旧線区間。今は手前の田んぼあたりに付け替えられた新線が走っています。遠くに写る東名の町は津波で全滅してしまうんです・・・↓

(写真:東名~陸前大塚、1999.3)

塩をかぶったんで現在も田んぼは再開されず、荒れ地のまま。↓

(写真:東名~陸前大塚、2002.11)

大塚あたりは津波高が低くて大きな被害とならなかったみたいですが・・・うーん、ちょっと痛いなあ。↓

(写真:東名~陸前大塚、2002.11)

ここは大塚駅近くにある高台。今もありますが立ち入りはできなくなってそう。確か祠があって漁のお祀りしてた記憶があります。。。↓

(写真:陸前大塚~東名、2002.11)

見晴らし良くてお気に入りの撮影スポットだったなあ。。。立ち入れたとしても線路も付け替えられて昔のような写真も撮れないみたい。↓

(写真:東名~陸前大塚、2002.11)

この登板部分は廃線になってます。↓

(写真:東名~陸前大塚、2002.11)

新ルートはこの写真の最後尾あたりから分岐しています。大塚駅周辺は線路自体をかさ上げしています。↓

(写真:陸前大塚~東名、2002.11)

大塚以西は被害が小さかったようですが復旧時は大塚駅周辺同様、併せてかさ上げ工事をしています。↓

(写真:陸前富山~陸前大塚、1999.3)

津波被害がなかったここの築堤も草ぼうぼうで撮影できなくなってるみたい。↓

(写真:手樽~高城町、2002.11)

ここは奇跡の丘近くの旧ルート。このときは将来にとんでもないことになるなんて思う由もなく。災害大国日本だから、これからもこんなことが起きるんだけど・・・なかなかつらいですね・・・ってことで、懐かしの103系時代の仙石線紹介でした。おわり!↓

(写真:野蒜~陸前小野、1999.3)

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