終幕の旧京王5000系(3)-一畑電車②

一畑の車両更新って2段階で進んだんですが、現在は第一弾更新時の京王車が引退の時期ということなんですが、前回ご紹介の通り第一弾更新前はとんでも車両が跋扈してたんです。↓

(写真:浜山公園北口~出雲大社前、1990.3)

こちら、西武から昭和30年代にやってきた70系、18m車両で小ぶりの電車ですがWW2時代の製造という、とんでもお古でした。西武時代はモハ200形って名乗っていたらしいけど、知らんでこんなんっていうくらいのレトロ車両。ま、このときでも南海が貴志川線で使ってた1201はもっと古かったけどね。↓

(写真:園~一畑口、1994.10)

同じような顔つきの単行可能車両はデハ1形という、こちらは製造が昭和一桁車両。前述の西武のお古より古いんです。↓

(写真:出雲大社前、1994.10)

晩年はデハ3と6が残り大社線専属みたいな使われ方していました。検査時以外は大社線に終日張り付く運用で、京王車や南海車が入ってきてからもしばらく運用に就いてました。↓

(写真:高浜~川跡、1994.10)

大社線では北松江線のダイヤの関係上折り返し時間を稼ぐために朝1本だけ走る急行がありました。↓

(写真:川跡~高浜、1990.3)

同じような時間に北松江線にも急行が走ってたので撮影はどっちにする?みたいなややこしいのがあったなあ。。。↓

(写真:川跡~高浜、1994.10)

デハ1晩年は川跡での乗り換え客の誤乗車防止のため出雲大社前方向に行先板が取り付けられるようになりました。さらに味が出てよかったなあ~↓

(写真:高浜~遥堪、1998.4)

で、先述の西武に混じってよく似た顔のデハ20形ってのもいました。こいつはデハ1形を改造したグループで、両運転台車両でしたがクハ100形という西武のお古の制御車クハ100形と組んで20+100にて2両ほぼ固定編成のような使われ方をしていました。20のほうはWW2前の製造、100はWW2中の製造ということで、こちらも古株とんでもコンビだったんですよね。↓

(写真:長江~朝日ヶ丘、1998.4)

まあ、引退時点での稼働年月は製造から50~60年くらいと、南海時間くらいではあったんですが、WW2後の技術進化が大きいんでまあよく平成の代まで使ったよねぇって感心するレベルでもあったんです。↓

(写真:園~一畑口、1995.8)

20+100と70の編成並びはよくあるばたでん風景でしたなあ。。。↓

(写真:一畑口、1994.10)

そして古豪さんとしてはこちらのデハニ50形のほうが有名でしょうね、映画でも使われましたしデハニ53は電車の運転体験でも現役で使われてます。デハニ50形は53と52の2両が最後まで活躍しましたが、定期運用がない今でも車籍を残しているので本線走行ができるようです。ちなみに52のほうは平田車庫ではなく出雲大社前駅に留置されています。↓

(写真:雲州平田、2022.5)

デハニの塗装は乗車ドアが自動化してない旧型の車両という区別のための塗装らしいんですが、区別対象の車両はすべて旧型だったんで晩年は意味を成さなくなってました。なので「デハニ50だけの色」みたいな特別感から「デニハ50色」と識別されるようになり、最近は東急から来た1000系や残る京王車の塗装に採用されてます。↓

(写真:布崎~平田市、1990.3)

現役時代は平日ラッシュの3両運用時に増結でよく使われてました。3両時はデハニ50が基本20+100か70形と編成を組んでましたね、増結位置は日によって違ってた記憶なので割と適当だったのかもしれません。あと、松江方面の朝の急行には20m車が優先されてこの組み合わせの編成はなぜか入らなったですね、ラッシュ時の収容力の問題からでしょう。↓

(写真:布崎~園、1994.10)

で、ラッシュ時はこちらの西武から来た80系がメインになってましたね。20m車両ということで、同じく西武から来た60系1両をくっつけての3両運転がありました。こちら写真は朝のみ運行だった急行松江温泉行。現在このスジには特急(スーパーライナー)が走ります。↓

(写真:一畑口~伊野灘、1994.10)

この80系、元西武451系にて、吊りかけの3ドア非冷房ではあったものの、当時のばたでんでは最新の電車で主力だったんです。↓

(写真:平田市~布崎、1990.3)

80系の増結は基本60系を使用。60系はなぜか単行で運転されているのを見たことないのですが(60+60の2連は見たことあったけど)、大社線にでも入ってたら面白かったんですけどね、、、この60系、2両いましたが今はすでに廃車解体されています。↓

(写真:美談~大寺、1994.10)

そして80系と同じタイミングで西武から来たのがこの90系、2両1組の1編成だけの導入でしたが、古豪さんが混じる中での流線型はいい味をだしていましたね。90系は元西武の551系で西武では多摩川線で晩年を過ごし、引退後はばたでんの他に流鉄や三岐に譲渡されています。なんだか新101系と経歴も風貌も似てますね、101系統はばたでんには来なかったけどね。↓

(写真:布崎~園、1994.10)

これら旧型置換で入ってくるのが、昭和丸出しの流線型南海21000系だったりしたので面白いんですが...↓

(写真:布崎~一畑口、1994.10)

...ってちょっと長くなった・・・次回に南海21000系導入編だなあ。ちなみに大社線沿線にあるこの保育園保存車両、元デハ3と6、大社線で最後まで活躍した車両です。↓

(写真:川跡~高浜、2014.9)

線路わきに線路に並行に置かれているのでなんだが角度によってはまだ現役で走っているような感じになります。現在デハ6のほうは元の色に戻ってるみたいです。なお園内敷地に入る場合は許可を取ってトラブルなきようご注意の程(たいていの写真は敷地外から不自由なく撮影できますので許可不要かな、でも園児や先生、親御さんの写真はすべて×ですからご注意の程)。...つづく↓

(写真:川跡~高浜、2014.9)

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