終焉近し 静岡鉄道1000系②

前回続き・・・去る2/25時点で引退した1000系は10編成になりました。トプナンの1001Fは登場が1973年、引退が2020年春だったので47年の稼働と一番のロングランとなりました。↓

(写真:音羽町~春日町、2020.2)

引退の1か月ほど前から大きなサヨナラサボを掲げてくれるのが静鉄スタイル。この大判は通常何らかのイベントPR用に多用されてるセットですがこうしたことにも使ってくれます。↓

(写真:新静岡、2020.2)

・・・こんな感じでPR目的で頻度高く使われてます。↓

(写真:音羽町~春日町、2019.1)

1001Fはもともとラッピング車。広告解除前はコカコーラゼロをまとってました。↓

(写真:狐ヶ崎~桜橋、2015.2)

ゼロだから黒地に赤なのかなあって思うんですが、なぜか白基調という広告・・・まあ車両に黒を纏うってのは貨車のイメージがあるからなのかあんまりないけど。↓

(写真:新静岡~日吉町、2015.5)

・・と思ったら晩年こんなラッピングだった1002F。思いっきり黒じゃん。それに強烈な顔!「静まれ、静まれ、この印籠が目に入らぬか」↓

(写真:狐ヶ崎~桜橋、2015.3)

この1002Fが徳川家に由来があるって訳ではありません。2015年の家康公四百年祭のイベントラッピングだったんですが、家紋を車両先頭ど真ん中に持ってくるもんで強烈な顔つきになってしまいました。側面にもデカデカと家紋が・・・江戸時代だとこんなことしたら 市中引き回しの上 打ち首 獄門 だぁ。↓

(写真:狐ヶ崎~桜橋、2015.3)

急行がお通りになるぞ、控え居ろう!↓

(写真:御門台~狐ヶ崎、2015.3)

とにかく強烈な印象だった1002Fは引退2編成目となって2017年春に離脱。もうなくなって5年経ってるけど葵のマークが強烈でいまだ鮮明な記憶だったりします。↓

(写真:御門台~狐ヶ崎、2015.5)

なおイベント終了後は元のラッピングなしとなり、標準の静鉄カラーに戻りました(とはいえ濃ピンクのサボ&側面シールがついて派手さで継承・・・)。↓

(写真:日吉町~音羽町、2016.5)

控え居ろう~の連番の1003Fは2018年春引退。晩年は無ラッピングでかつ静鉄3本ストライプもないツルツル編成で最後まで走りました。↓

(写真:音羽町、2015.5)

外観すっきりで側面コルゲート仕様と、なんか昭和な風景やん・・・↓

(写真:新静岡~日吉町、2016.4)

もう簡単に見ることができなくなった1000系同士の離合。しかも通勤急行も県総合運動場行きもなくなりました。まあ、これが昭和60年の風景じゃなくて平成27年だったんでこんな風情が残ってたことが奇跡だったのかな。↓

(写真:日吉町、2015.5)

ツルツル丸サボ急行はほんとに昭和だあ・・・↓

(写真:新静岡~日吉町、2016.4)

そして2016年春に1番で離脱した1004F。1001Fと同じコカコーラ社の広告を纏ってました。こちらもコーラゼロ同様白地でした。↓

(写真:新静岡~日吉町、2015.5)

正面はコカコーラだけのシンプルなものでしたがサイドの広告は結構デザイン凝っててよかったんです。ちなみにこの巴川鉄橋、洪水と津波対策で架け替えが決まりJRの鉄橋のように橋脚レスとなる予定。すでに工事のためのボーリング作業とかで作業台が半分景観を塞いでいます。↓

(写真:入江岡~新清水、2015.2)

通勤急行は平日朝ラッシュ時に新清水から新静岡の片方向に設置。急行もその逆の片方向のみ。差は停車駅の差で分けてたようです。急行・通勤急行となるとおでこ両側にある急行灯が光ります。うーん律儀だ。↓

(写真:桜橋~狐ヶ崎、2015.5)

急行運転が終了する9時ぐらいを過ぎると方向幕は「普通:新静岡ー新清水」に変わります。↓

(写真:音羽町、2015.5)

続いて1005F。2019年春引退。無ラッピング車でしたが顔に3本ストライプがないデザインでほぼツルツル。↓

(写真:春日町、2015.4)

裾に残るオレンジラインがちょっとだけ静鉄チックでもあったのかな。↓

(写真:新静岡、2015.4)

朝の新静岡方向の急行はかなり混雑。もともとお客さん分散目的で導入した急行だったんですが逆に急行に集中するって逆張りになっちゃったみたいでコロナ禍での廃止はなんとなくわかります。↓

(写真:音羽町、2015.5)

ただコロナの5類化でいろんな規制や配慮が不要となるんで急行は復活するかな?1000系の路線図にはまだ急行の停車駅が掲げられているのでちょっと期待してるんですが、今の各停だけの平行ダイヤでもしっかり捌けているし急行の時短効果は数分しかないからしばらく封印ってのが正解かも。県総合運動場での列車折り返し作業も過密ダイヤ下での神業入換してたんで安全面からも従来の急行運転復活はないかもしれません。↓

(写真:新静岡~日吉町、2015.5)

続いて1006F。↓

(写真:音羽町、2015.5)

いわゆる静鉄車両ってカラーリングでして・・・↓

(写真:御門台~狐ヶ崎、2016.3)

急行サボもさりげなく似合う。↓

(写真:日吉町~音羽町、2015..5)

・・と思ったら、途中から某軽カーメーカーのバリバリ宣伝ラッピングを纏ってました。なんとなく鉄道と競合するような気もしますがそこは太っ腹だったのかな。↓

(写真:音羽町、2016.4)

2020年春に1001Fとともに引退となりました。引退前は広告解除となり再び静鉄カラーに戻ってました。↓

(写真:音羽町~春日町、2020.2)

続いて2019年春に引退した1007Fでカラーリングが少し違った青帯車。1011Fのまる子化前の青ストライプ車とともに目立った存在だったんですよね。試験的にいろんな塗装をしてたんでそれの残りとかなんとか。↓

(写真:狐ヶ崎~桜橋、2015.2)

ステンレスにコルゲート、ブルーラインだと弘南車両にも見えますね。↓

(写真:長沼、2015.5)

平日朝ラッシュが終了すると長沼車庫に入庫するため柚木行きが走ります。3運用引っ込むので3本設定あります。急行がなくなった今も運用は変わらないですね。↓

(写真:日吉町~音羽町、2016.4)

こちらは平日朝ラッシュ急行運転時に走った県総合運動場行き列車。急行通過駅の客拾いのための区間運転で使われてました。県総合運動場駅は待避線がある駅でしたが、区間運転の接続&折り返しのための設備であって列車の追い抜きにはほとんど使われてなかった不思議駅。各停の待避目的では上り早朝の急行2本通過だけじゃなかったかなあ。↓

(写真:日吉町~音羽町、2019.1)

続いて、最後まで残る1008Fを飛ばして1009F。こちらは2021年春に引退し熊電に譲渡された編成。↓

(写真:狐ヶ崎~桜橋、2015.3)

無ラッピング車で静鉄カラーリング車両。熊電へもこのままの姿で行きましたが、さすがに方向幕はフルカラーLED化されちゃいました。↓

(写真:狐ヶ崎~御門台、2015.1)

ただいつもPRサボをつけて走ったイメージが・・・↓

(写真:柚木~長沼、2015.1)

続いて1010F。長らく地元大学のラッピングをまとってたイメージが・・・↓

(写真:狐ヶ崎~桜橋、2015.3)

前述1009Fと同様、2019年春の時期に引退。こちらはえちぜん鉄道へ譲渡されました。↓

(写真:御門台~狐ヶ崎、2015.2)

えちぜんでは恐竜電車になるようですが、さあ、どんな変化があるんでしょうか。楽しみですね。↓

(写真:柚木~長沼、2016.5)

2019年訪問時はラッピング解除になってましたが・・・↓

(写真:音羽町~春日町、2019.1)

引退直前はまた広告を纏ってました。最後まで広告してたのかな?ちょっと把握できてませんが、ま、再就職先が決まってよかったです。↓

(写真:柚木~長沼、2020.2)

ということで長々と全編成紹介となりましたが、最後は富士山ショット。意外と撮れるところが決まってまして・・・有名どころは御門台近くのココ。↓

(写真:狐ヶ崎~御門台、2016.5)

まあ、ここもなんとか・・・電線処理が難しいですね~↓

(写真:長沼~柚木、2016.1)

無理やり~↓

(写真:春日町~音羽町、2016.1)

長沼車庫も富士山バックができますね・・・↓

(写真:長沼、2016.1)

・・・てなことで・・・こちらは平日朝ラッシュ時の新静岡駅。こうした並びもそろそろ懐かしい風景になりつつあります。ただ、1000系引退まではあと1年ほどありますので興味ある方は葬式鉄が集まる前にお早めに。冬から春先は富士山をバックに、また夏の日が長い時期は新静岡周辺も日が当たり撮影シーズンとなります。ミニ私鉄なので散策がてらで時間をかけて楽しんで見てください。ということで、引退近づく静鉄1000系のご紹介でした。おわり!↓

(写真:新静岡、2020.2)