解説

天北線は、現在の宗谷本線音威子府からオホーツク海側の街、浜頓別を経由して宗谷本線南稚内までを走る全長148.9kmもあるローカル線でした。沿線は人家もまばらで、そのほとんどが笹や潅木に覆われた原野や丘陵地でした。

起点駅音威子府を出た列車は宗谷本線を左にオホーツク海側目指して走ります。最初の交換駅小頓別は歌登方面への接続駅でかつては歌登町営軌道が歌登市街まで路線を結んでいました。車窓は雄大なピンネシリ岳を横目に牧草地や潅木を縫って走ります。次の交換駅中頓別は静かな駅で駅員さんは少し退屈そうでした。

やがて列車はオホーツク海側の町浜頓別に到着。沿線で一番大きな街です。大きいといってもスーパーがやっとあるくらいの小さな街です。ここからは興浜北線が北見枝幸まで伸びてましたが85年7月に廃止されています。

浜頓別を出るとすぐに左手にクッチャロ湖が現れます。見えたその左側が白鳥の飛来地で冬場は車窓からもその光景が見られたそうです。見えそうで見えない湖を左に列車は北進。山軽をでて勾配を登りきったところで左に視界が開け、やっと湖が全貌できます。おおーといってるまに安別に到着してしまいます。

小さな乗降場に列車が止まりながら次の交換駅鬼志別に到着。ここまでオホーツク海沿いを走ってくるのですが海もまた見えそうで見えません。さらに列車は北進し交換設備はないがタブレット交換する小石に到着。ここでのタブレット受渡は小石~曲淵が1駅で16.3Kmもあって安全確認の必要があるということで行われていたようです。

小石を出ると天北線最大のサミット越え、エンジンはうなりっぱなしで勾配を登っていきます。やがて車内が静かになった頃交換駅曲淵に到着。駅の周りは小さな集落しかなく、ちょっと寂しい駅です。

列車は再びオホーツク海を目指し走ります。左手には大沼がちらちら見えてきます。そして稚内空港の設備が見えてくると右手にやっと雄大な海が見えてきます。線路が左に大きくカーブしたら最後の交換駅声問に到着。声問をでると山裾の海岸沿いを列車は走ります。徐々に車窓に民家が増えだし、町が大きく広がったら終点の南稚内到着です。

天北線での大半の乗客は、札幌~稚内を結んでいた急行「天北」号で稚内まで通しで乗車したお客さんでした。路線内の乗り降りは少なく、特に普通列車にいたってはいつもガラガラで、夏場は大半のお客さんが旅行者という有様でした。もともと人口希薄地を走る路線なので、当然といえば当然でした。

しかし、乗客がいない割には長大路線で列車交換設備等の固定費がかかる上、冬季の除雪費等がかみ、また路盤凍結による保線の経費もばかにならない厄介路線でした。当時、廃止の話が出てきたときには、沿線住民は「廃止は仕方ない」といった様子で、道路が整備されてきれいなバスが走るなら、そっちのほうがいいといった雰囲気でした。

「いちばん好きな路線でした」

私は当時大学生で、荒涼とした大地を走りぬくこの線区が好きで、バイトでお金がたまれば即出かけたものでした。

まわりに何もない小さな乗降場で降りて、次の乗降場まで歩いたものです。この当時、「乗降場」という、北海道版の時刻表しか記載されない、駅とは言い難い、まさに乗り降りできるだけのホームのある駅(というかまあ木の棚というか)が多くありました。

そんな「乗降場」でふらっと降りてまわりを散策したり、次の駅まで歩いたり、また、沿線には有名ではないが静かな原生花園や牧草地がたくさんありましたから、気に入ればぼーっとそこで1日を過ごしたものでした。

ベニヤとか、声問から東のほうの小さな原生花園、安別乗降場の近辺のポン沼からクッシャロ湖、恵野の牧場など、どこものどかな静かなところでした。線路沿いも結構歩き、上頓別から周摩までとか、恵北から声問とか、当時の健脚がうらやましい今日このごろです。

そう言えば、何度も天北線に乗るもんで、車掌にすっかり覚えられてしまいました。何もない「乗降場」ででかいカバン持って降りてたら、覚えんわけないですね。安別乗降場では写真を撮るため遅くまでいたところ、暗くなって列車に乗ったら車掌にどこから来た?と驚かれました。

寿乗降場にはいつも黒い犬がいました。こいつは人懐っこい老いぼれ犬で、愛嬌はあるんだけど尻尾を振るのが面倒くさいらしく、頭をなでているときしか尻尾を振ってくれませんでした。ここには3度ほど行ってますので、2度目からはちくわやソーセージを持っていって待ち時間を彼とすごしました。

もう、天北線がなくなって、だいぶ経ちましたね。この線が一番好きな鉄路でした。特に最終の稚内行き列車が好きでした。ガラガラの車内、窓越しにたまにちらちら見える人家の明かり、キハ22の古びたエンジン音、薄暗い車内・・・。もし大金を得たとしたらこの天北線をぜひ復活させたいですね。

PHOTO GALLERY

■音威子府

・起点駅の音威子府はまだ活気あったころ。

   -1987.8.27  -1988.10.24   -1989.3.12


■音威子府-上音威子府

・保線のモーターカーも日中たまに走ってました。

   -1988.11.1


■小頓別

・駅前の旅館が大正ロマン風で撮影ポイントにもなってました。

     -1987.8.27   -1989.3.18


■小頓別-上頓別

・カーブが望めるちょっとした撮影スポットだったかな?

    -1987.8.27  -1988.11.1


■上頓別

・駅舎のある棒線駅。昔は交換駅だったのかな。

   -1988.11.1  -1989.3.18


■上頓別-恵野

・敏音知岳をバックに撮影できる有名スポット。

         -1988.11.1


・DC天北を撮りたかったんですが吹雪いて願いかなわず。雪まみれになって悲惨だった思い出が・・・

       -1989.3.18


■恵野

・仮乗降場が駅になったやつ。

   -1988.11.1


■中頓別-寿

・寿の俯瞰ポイントから中頓別方向に撮るとこんな感じでした。

    -1988.10.24


■寿

・旅行者に人気だった寿犬がいましたね、近くの牧場の飼い犬でしたがすっかり人慣れしてました。

   -1987.9.5  -1988.10.24  -1989.3.12


■寿-新弥生

・天北線イチの撮影スポットの寿俯瞰。頓別川にかかる鉄橋と牧場がセットで撮れる贅沢構図。国道275号線の切通斜面に登って撮影します。

    -1987.9.5      -1988.10.24
    -1988.10.27



・3月は雪が多くて雪まみれになってこの斜面を登りました。キタキツネが出てきてくれて暇つぶしになったのを覚えてます。

           10 -1989.3.12


■浜頓別

・久しぶりの町といったところでしょうか。クッチャロ湖の鉄橋と白鳥を絡めて撮影できるところがあったのですが、結局行けずじまいでちょっと後悔。

    -1989.3.17


■山軽-安別

・クッチャロ湖と絡めて撮影できるポイント。このあたりは人家もなくてかなり寂しいところでした。

       -1988.10.27


・DC天北を撮りに再訪しましたが山軽駅での乗車が夜になりかなり怖かった印象があります。

     -1989.3.17


■安別

・まわりに何もないところ。誰が利用するんだろうって駅でした。

   -1988.10.27


■安別-飛行場前

・急行天北稚内行きを撮影。

   -1988.9.5


■飛行場前

・なんかの旅行雑誌に載っていた飛行場前に興味がわいて途中下車。安別同様、まわりに何もないところ。

    -1988.9.5


■浅茅野

・なんか撮影地がないか探索のため下車。

   -1988.10.27


■浅茅野-猿払

・猿払川の鉄橋はあまりきれいに撮れず他に行きゃよかったとショックだった記憶があります。

   -1988.10.26     -1988.10.27


■猿払

・交換駅でしたが駅前はかなりさみしいところ。売店なんかはまったくありません。訪問時はすでに交換が廃止され無人化されてました。

    -1988.10.25  -1988.10.26


■鬼志別

・久々のちょっとした街。猿払村の村役場は鬼志別にありました。

     -1987.9.5


■曲淵

・峠越えだった小石と曲淵の駅間がかなりありました。初訪問時は曲淵行きの列車がまだあったのかな?最終の稚内行きのお尻に連結して回送してました。

     -1988.10.27  -1989.3.12


■声問-沼川

・オホーツク海を絡めて撮影ができる唯一の場所。稚内市内でレンタサイクルして自転車で撮影ポイントまで来たんですよね~、近くに稚内空港があるから駅を作ろうなんて話もありましたが、稚内空港自体の発着が少なかったので話題だけで終わったのかな。

      -1988.10.25


■声問

・南稚内で列車交換できるんですが、そこでは交換はせずこの声問で交換してました。

     -1988.10.25


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