解説

最後はサヨナラヘッドマークを掲げてくれてました。 大社線は、JR山陰本線出雲市駅から出雲大社近くの大社駅までを結んでいた路線で、出雲市駅からはだだっ広い田んぼの中を出雲大社近くまでまっすぐと延びるような形で敷設されていました。

かつては参拝需要もあって、名古屋からは敦賀・小浜線・宮津線経由(誰が考えたんだ?すごいルート)の急行大社号や大阪から福知山線経由での夜行急行だった急行大山号が乗り入れていました。 大社駅を出発した出雲市行き列車。

優等列車の乗り入れは1985年に終わってしまい、その後はキハ40等の気動車2~3両が行ったり来たりの運行をしていました。だいたい1時間に1本程度の運転間隔で、廃止前は15往復の列車が設定されていました。

大社線はもともと出雲大社と山陰本線とを短絡する目的で作られたため途中の乗降客が少なく、また、初詣期にしか需要がないこと、一畑電鉄も大社へのアクセスを持っていたこともあってバス転換は意外とスムーズに進み、1990年3月に長い歴史に幕を下ろしました。

途中の車窓は田んぼの田舎を進むちょっと退屈な風景でしたが、終点の大社駅駅舎は木造瓦葺のとっても立派な建物で圧巻されます。切符販売窓口はかなり渋いつくりで、待合室も天井が高く、冬場はストーブのまわりだけしか暖がとれませんでした。


思い出

威厳ある駅舎は今も健在。 大社線はあの終点の有名な駅舎を見に行くことと吊り掛け天国だった一畑電鉄に乗りに行くことで何回か訪れました。

乗車券 廃止が決まってからは、友人たちと出雲大社お参りツアーとか称して車で何度か出雲へ遊びに行きました。当時は高速道路も中国道のみで、到着までに時間がかかったのを覚えています。出雲大社参拝後は日の岬や境港へ行ってイカを食いに行ったり、写真撮影に熱中せず、きれいな写真があまり撮れてません(もうちょっと頑張ってたらなぁ・・・)。

当時なーんにもなかった石見銀山に立ち寄り、唯一まともに店があった茶店でところてんを食って騒いだりして・・楽しい旅行でした。石見銀山も世界遺産に登録されて(たかな?)脚光を浴びると突然全国的に有名になり、島根の立派な観光スポットになりましたね。

入場券 ちなみに大社駅の駅舎は今も健在で、その勇姿を拝むことができます。列車は走らなくなりましたが当時の雰囲気をよく残しています。(出雲大社方面に行くなら見てない人は必見の駅舎!)

一方で起点駅だった出雲市駅は高架化で大変貌。広いヤードや車庫があった当時の鉄道駅の雰囲気はまったくなくなり、首都圏私鉄の郊外の急行停車駅みたいな、愛想のない駅になってしまいました。

PHOTO GALLERY

出雲高松~荒茅

・沿線がほとんど田んぼでのぺっとした構図になるので撮影できるところが限られていました。このキハ45もすでに消滅しましたね。

      -1990.3.26



荒茅~大社

・ほんとは300mmくらいの長い玉があると、出雲大社の鳥居と列車をコンパクトに収められた撮影ポイント。ま、貧乏時代だったので仕方ないです。

       -1990.3.26

・ここは大社駅を出てすぐのところ。やたら立っていた腕木式信号機を一緒に収められるポイントでした。

       -1990.3.4




大社

・風格ある駅舎。客待ちのタクシーなんかもいたんですね。車が古い!

    -1990.3.1   -1990.3.4   -1990.3.26

・中もゴージャス。こんな窓口で切符買えたんです。大正レトロの世界ですね~。木造りが渋い!

   -1990.3.1      -1990.3.26

・かつて参拝客を全国から受けていたこともあって駅自体は大造り。

   -1990.3.1   -1990.3.4   -1990.3.26

・ちょっと古い写真。ほとんど色が変わってしまい、まともなヤツがありません。腕木式もこのときはフル活用。

   -1984.3.30

・廃止前は大賑わい。ジモティーにテツに入り乱れ状態でした。とはいえ、今と比べればのどかな風景ですね~。それだけ今のマナーのレベルが低くなったってことなのかなぁ、ちょっと悲しい日本。

        -1990.3.26





おまけ:山陰線風景

・田儀のポイントと石見津田の超有名ポイント1コマずつ。181系も国鉄色でいい風景を走ってましたし、JR発足後の車両不足でDD51+50系客車2両なんていう、とんでも列車も走っていました。

   -1990.3.1  -1990.3.26

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