解説

かなりオープンだった工場ヤード。 住友大阪セメント岐阜工場専用線は、樽見鉄道本巣駅からセメント工場まで伸びていた企業専用線です。物流改革で2006年3月28日限りで鉄道貨物が廃止され、専用線の使命も終えました。

線路は結構へろへろの、なかなかいい感じの赴きあるところでした。本巣駅から北へ、左へゆるくカーブし、工場の煙突を正面に市街地へ入っていて工場へとつながっていました。約2kmほどとそれなりの路線長があったので鉄道らしい雰囲気もありました。

扱われていた荷はセメントで、樽見鉄道にはこの出荷用に1日1往復の貨物設定がありました。朝の便で本巣から満タキを出荷。大垣まで持って行って、帰りに空タキを持ち帰り昼前に工場に戻すという運用でした。

ブルーのスイッチャーが印象的でした。 駅への出場は昼前の大垣からの貨物到着時で、工場と駅とのやりとりを空タキの到着から翌日の送り荷を出すまでを一気にやっていたと思います。まず翌日用の満タキを持ってきて出場。スイッチャーは解放後空セキを本巣駅手前で待つ。貨車が到着後機関車が付け変わって工場に持って帰るという運用だったかな(違ってたらごめんなさい、その逆かも)。

タキ車は有効長からか、確か2分割して搬入出していたと思います。晩年は1回の搬入出でOKだったり、隔日運行とかウヤも多かったですね。土曜日運行もやっていましたが、翌日曜は出荷がなかったのでスイッチャーは単機でやってきて空タキを持ち帰る変則運用だったと思います。

ここのメイン機は青の凸型DL。工場内ではセメント積み込みやタキの入換などで頻繁に動き回っていましたが、本巣駅では単に貨車の連結・解結だけを行い、入換作業は行っていませんでした。 樽見鉄道側はカラフル塗装の機関車が使われてました

樽見鉄道は開業当時、このセメント輸送のためにDE10クラスの機関車を持っていました。機関車所有を生かし、朝のラッシュ対応として客車を走らせていたりもしていました。今は客車列車も廃止され、機関車も廃車となっています。

となりの滋賀県にある同社伊吹工場にもJRと工場を結ぶ専用線がありましたが、セメント不況のあおりを受けて廃止され、工場も廃工場となってしまいました。今はセメント系で残る貨物と言えば三岐鉄道と秩父鉄道くらいでしょうか。

ちなみにこの専用線とセメント貨物列車が廃止されると樽見鉄道の業績が急速に悪化。ドル箱だった貨物輸送がなくなり、今や会社は存亡の危機に。こっちの動向も気になりますね。

PHOTO GALLERY

工場出入場

・朝の貨物発車時刻にあわせて積車が出場してきました。谷汲線にいってたら早発で貨車編成撮れず、工場へ帰る単機だけとなりました。

      -1999.3.13



本巣駅:貨物発着

・大垣からの返空列車が到着。向かって右の貨車は翌朝出荷する積車。

    -1999.3.13

・到着後機回しが行われDLは側線へ。平日だとこの返空を取りにスイッチャーが出てくるのですが、この日は土曜日でスイッチャーは出てきませんでした。怪しげな機関車たちが隅っこにいましたが今もあるのかな。

     -1999.3.13

・このときはレールバスタイプも活躍してました。朝の客車運用もあって樽見カラーに塗られたDLもいました。

      -1999.3.13




工場ヤード

・出荷がないので工場側を見に行くと激しく入換中。貨車の押し引きで結構場外へ出てきてました。

     -1999.3.13

・期末対策で生産をガンガンしていたのでしょうか、構内にタキがパンパン状態になっていました。

      -1999.3.13

・スイッチャーは凸型のほかにL型もいました。奥に少しだけ見えますね。

   -1999.3.13



・ヤードの周りは公道があって、かなり近寄って写真を撮ることができました。デンカ青海がそばで見れるって感じでしたね。

      -1999.3.13

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