解説

能勢電鉄の川西国鉄前-川西能勢口は、関西の方でもご存じない方が多いかもしれません。現在の能勢電鉄川西能勢口からJR川西池田駅まで、ひょろひょろっとレールが延びていました。宝塚に遊びに行く時、阪急電車の車窓からいつも見えるこの線が、いったいなんなんやろと不思議に思っていました。廃線かと思うような、貧弱な鉄道施設でした。

さよなら乗車券 その昔は、妙見さん(終点にある信仰地)へ向う参拝客が国鉄からの乗り換えでたくさん利用したそうなのですが、廃止時には朝に3往復夕方2往復の盲腸線扱いになっていました。車両も1両のちっちゃな車両が使われ、能勢電鉄の起点でもある川西国鉄前には駅舎さえありませんでした。

そんな鉄道も、市の区画整理計画で1981年12月19日に終焉を迎えました。最終日は冷たい雨の降るさみしいものとなりました。訪れる人もまばらで、ひっそりとその歴史を閉じました。

廃止後の跡地は区画整理されてほとんどなくなってしまい、付近には高層住宅が立ち並んでいます。川西能勢口駅もその後高架化され、能勢電鉄と阪急電鉄との乗り入れ運転も行われています。阪急のお古がたくさん走っていた能勢電鉄も今や車両は近代化され、鉄道設備は近郊の新線並になりました。知らないうちにどんどん変わっていくものです

あまり廃線区間の写真がないので、能勢電車の懐かしの車両と阪急のなつかし車両の写真もつけました。

PHOTO GALLERY

■川西国鉄前

・駅舎も雨除けさえない、ほんとうに何もない1線1面の起点駅。

   -1981.12.12  -1981.12.19



■川西国鉄前-川西能勢口

・まわりから取り残されたような感じでレールが敷かれてました。

   -1981.12.19



■川西能勢口

・国鉄前行車両は隅っこに留め置きされてました。高架化前の川西能勢口駅です。

    -1981.12.12



★おまけ:懐かしの能勢電・阪急

■川西能勢口

・阪急のお古の釣りかけがまだ活躍していました。

   -1981.12.12



■笹部-光風台

・このとき新しく入った1500系。

   -1986.3.31



■光風台-ときわ台

・冷房車がやっと入ったって感じでしたね。

   -1986.3.31



■ときわ台-妙見口

・釣りかけ車両もこの頃はまだ結構がんばってました。

    -1981.12.12



■妙見口

・旧型車一掃までしばらく時間がかかります。

   -1981.12.12



■山下-日生中央

・旧型車一掃までしばらく時間がかかります。

   -1986.3.31



■阪急伊丹

・この頃の阪急は車両繰りが苦しく、古豪さんにも冷房をつけていました。

   -1987.11.22



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