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Page Start 1997.10.18 最終更新日【2011.11.28】
「野上電鉄」 (のかみでんてつ)
DATA
・日方−登山口 11.4km
・1994年3月31日終了
硬券乗車券
・駅数 14 (除く連絡口)
:日方、(連絡口)、春日前、幡川、重根、紀伊阪井、 沖野々、野上中、北山、八幡馬場、紀伊野上、動木、竜光寺前、下佐々、登山口

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解説と思い出
野上鉄道は、紀勢本線海南駅の外れから出発、途中貴志川沿いを走り、野上町登山口駅までを走る全長11.4kmのミニ私鉄でした。

ここをはじめて訪れたのは中二のころだったでしょうか。訪れるきっかけは、TVでこの鉄道を「関西一の貧乏鉄道」と紹介したことでした。TVのレポーターは「踏み切りの竿にさえ黄色と黒の警戒カバーを着けれず、竹そのままで使われている」と報告し、そんなところが本当にあるのか、行って見たい!と週末さっそく訪問したのでした。

接続駅の紀勢線海南駅を降りると通常の出口と反対がわに「野上電鉄連絡口」という不思議な出口があり、矢印にそって歩いて行くと竹竿(生の竹だった!)が踏み切りがわりに下りていました。列車もこないのに下りていたのでどうしたものかとうろうろしてると、そばの小屋から職員がいて、竹ざおを上げて通してくれました。どうやら人がきたらをあげて通してくれるという、手動踏切でした。

変な踏み切りを超えると駅舎があり、そこではおばさんが切符を売っていました。ホームからは日方駅がすぐそばで、次に来るボロボロの電車が見通せました。実はここは駅ではなく「連絡口」という日方駅構内のホーム(番線と同じ)という扱いで、買った切符も「日方」となっていました。(ダイヤグラム上にも出ていませんでした)。

ホームで待っていると、時刻通りに向こうに見えてた1両の電車がごとごとやってきました。ほんとにボロボロで関西一の貧乏どころか全国一だと思いました。列車に乗ると車内は薄暗い白熱灯が点灯し、がま口を抱えた車掌が切符を売りにくるのでした。

なんて時代錯誤した鉄道だと思いながら、何やら懐かしさも込み上げてきました。そう、この光景は幼きころのチンチン電車やバスの姿そのもので、お〜!っと感動してたのを覚えてます。車掌がパンチをカチカチいわせながら切符を売りにくる姿は、よく子供のころに乗った阪堺電車を、社内灯は白熱球で旧型客車のあの懐かしさを、木の床に引かれた油は教室で油引きをした小学生時代を思い出させてくれました。 一駅先の春日前まで往復し、その旅を終えました。

その後この有人手動式踏み切り兼改札口は自動化されてなくなりましたが、廃止になるまで私が子供のころに乗った鉄道のイメージが凝縮された路線で居続けてくれました。よく似た雰囲気を持った新潟交通も消えてしまい、ガタゴロ電車の走る昭和な風景は見ることができなくなりました。


「鉄道がある風景」/RailScape
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