解説

殺風景な風景を行く黒川行き列車 新潟臨海鉄道は、新潟市の外れ、JR白新線黒川駅から海へ向かって伸びる貨物専用鉄道で、途中には藤寄という貨物駅が1つありました。

荷の中心は石油・化学薬品等で終点の太郎代行きが大半の荷物でした。ダイヤは1日2往復の設定となっていましたが、末期には荷が少ないようで運休することも多々ありました。

この鉄道の廃止を後押ししたのは水路建設による部分廃止問題。ちょうど太郎代手前の広大な空き地の当たりに水路を通すということで、藤寄~太郎代間の廃止案が出ていました。ただ、荷主は「この区間だけトラック代走して藤寄までわざわざ荷を持っていくなら、全量トラック化をしたほうがいい」ということで、議論の末トラック化が決定。結果、荷主を失った鉄道は廃止ということになりました。

藤寄でのタブレット交換 もちろん、存続への考察はいろいろありました。藤寄近くにある新潟鐵工所が新車の搬送をこの新潟臨海鉄道を利用する、沿線にあるコンテナ埠頭から海上コンテナの運搬をする案などあったのですが、期待の新潟鐵工所は倒産、海上コンテナはトラックのほうが輸送効率がいいなど、結局どれも存続につながる材料にはなりませんでした。

ただ現在は倒産した新潟鐵工所の再生会社である新潟トランシスが新車送り込みのため、この鉄道の一部廃線区間(藤寄~黒川)を復活させて彼らの専用線として使われています。

最近、こうした臨海鉄道の廃止が相次いでます。荷主の効率化や物流の変化で今後も臨海鉄道の未来は明るくない状況です。各地に残る臨海鉄道、いつまでもがんばってもらいたいですね。


[沿線風景]

列車は黒川を出るとすぐに田んぼの中を走り、臨海鉄道らしくない風景を進みます。どちらかといえば臨海鉄道というより、地方のローカル鉄道という雰囲気でした。

線路は旧国道を跨ぐコンクリート橋を渡ると車庫のある藤寄に到着です。ここではタブレット交換が行われ、道路沿いからその姿が拝めました。この駅は大きなヤードとなっていますが、かつての車扱の名残なのでしょうか、ほとんど空き地状態となっていました。

藤寄を出ると急に臨海鉄道らしい風景へ。煙突やクレーンが目立ち始め、殺風景な景色の中を列車が走ります。終点太郎代はいかにも臨海鉄道の終点といった感じのところで、そこから工場へと専用線が2本延びています。当鉄道の荷受はほとんどこの太郎代で行われてました。入れ替えは列車到着後すぐに行われ、牽引してきたDLがそのまま専用線に入って入れ替えに従事していました。

現在水路は完成し、途中は分断、太郎代ヤード跡がコープケミカル横に残っているという感じです。

PHOTO GALLERY

■黒川~藤寄

・県道を跨ぐ跨道橋がポイントの1つでした。

   -1997.10.22

・黒川まで貨車を運んでの帰り道。

   -1997.10.22



・藤寄を発車。腕木式信号機がありましたが使われていたのかどうかは不明。

   -1997.10.22





■藤寄

・機関庫があった藤寄では全列車がタブレット交換。大きなヤードはあれど持て余していた感じでした。

    -1997.10.22



■藤寄~太郎代

・臨海鉄道らしい風景だったコンテナ基地付近。

    -1997.10.22


・水路予定地付近は荒涼とした雰囲気でGood。

     -1997.10.22





■太郎代

・側線が数本並んだだけの簡素な貨物駅でした。

   -1997.10.22

・入れ替えは一旦本線に出てきて行ったり来たりで繋ぎ換え。DLは作業がなくなればすぎに藤寄へ。

     -1997.10.22



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