解説

新潟交通電車線はもともと中ノ口川の河川運搬代替を目的に作られた鉄道で、路線の大半が中の口川沿いを走る形で敷設されていました。晩年はかなり電車も駅施設もくたびれ、ある意味風情あるローカル鉄道でもありました。

黄色と緑のツートンという時代遅れなカラーリングがなかなかよく、主力の1両電車はつり掛けサウンドの流線型とあって、とてもレトロな鉄道でした。こんな鉄道が21世紀近くまで運行されていたというのが奇跡だったのかもしれません。

この路線の経営難はずいぶん前から問題となっていて、主要都市を結ぶでもなく、また川に沿ってクネクネした路線からスピードもだせず、車両も冷房のない旧型車両中心とあって、旅客は減る一方でした。

廃止は3段階で行われ、まず路面区間であった新潟市内の東関屋~白山前(旧県庁前)2.6Kmが交通渋滞対策として1992年3月20日付で廃止となります。車庫のあった東関屋駅前を整備して市内へはバス連絡となりました。もともと軌道線は新潟駅前まで敷設する計画でしたが計画のまま終わってしまった格好です。

その後、目立った旅客は朝夕のみという、過疎区間であった燕~月潟11.9Kmを1993年8月1日付で廃止。これで路線の3分の1が廃止となります。その後も新潟交通からは電車廃止の申し出が幾たびと出されましたが、代替道路の確保がむずかしいなどの理由で廃止時期はずれ込み、結局会社側は道路整備まで待てないということと、沿線住民らの反対運動もそう盛り上がらなかったことから、1999年4月5日付での全線廃止となりました。

沿線風景は燕~六分は小さな集落を結びながら途中に田んぼの中を行く鄙びた鉄道風景で、途中上越新幹線をくぐりますが、基本は田園の中の小さな集落に駅があるという風景でした。六分~月潟~白根~木場にかけては中ノ口川の堤防に沿ってほぼ線路が敷かれており、堤防から線路を見下ろす風景が続きます。ところどころ河川の湾曲部でショートカットすべく田園の中を一部走りますが、基本は堤防沿いの裏道みたいなところを走っていました。 平日のラッシュ時対応として小田急から譲ってもらった吊り掛け電車が早朝1往復設定されていた

また、ところどころにあった交換可能駅は古びた木造駅舎とセットでとても味があり、いい被写体になっていました。

木場からは中ノ口川とはずれ、新潟郊外の新興住宅地の中を進んでいきます。町の風景は大きく変わったのにこの電車だけは時代に取り残されていたというような感じがありました。

バイパスをくぐり、大きく右に築堤を登っていくと信濃川からの分水路である関屋分水路。併用橋風の関屋大橋を渡り、車庫のあった拠点駅の東関屋に到着。

駅構内はそこそこの大きさがあり、地方私鉄の車庫というような典型的な風景でした。この先は道なりにまっすぐ延びる道路に軌道が伸び、JR越後線をくぐって現在新潟市役所がある交差点まで軌道区間がありました。この軌道上には停留所などなく、終点白山前まで駅間2.6kmという、結構な距離を客扱いせず走っていました。

なお、廃線後は旧月潟駅に何両かの旧型車両を集め、木造駅舎もそれら車両とともにそのまま保存されています。廃止後時間が経っていますが意外と線路などはそのままの状態となっているところが多いようです。ただくたびれた木造駅舎などはほぼ取り壊されました。

併用橋風だった、関屋大橋の鉄橋部分は線路部分が歩道に作り変えられ雰囲気が変わりました。また六分~燕、東関屋~白山前は廃止後年数が経過しており、線路跡がわからなくなっているところが多いようです。

PHOTO GALLERY

■燕~灰方

・鄙びた田園の中を列車が走ります。

   -1992.6.18



■灰方

・ボロボロの駅舎に1両のおんぼろ電車はよく似合います。

      -1992.6.18



■灰方~小中川

・平坦な田んぼの中を行きます。

   -1992.6.18



■小中川

・ホームだけの小さな駅。

   -1992.6.18



■小中川~新飯田

・よく似た風景が続きます。

     -1992.6.18



■新飯田

・くたびれた交換可能駅。

   -1992.6.18



■月潟

・晩年は終着駅でしたがもともとは交換駅でした。最後までこの風景でいてくれました。

     -1994.4.6

・平日運転されていた小田急のお古も晩年は故障で動けなくなってしまいました。

    -1997.4.1

・側線が取り除かれ終着駅らしくなった頃。味がありますねぇ。

    -1997.4.1      -1998.8.2

・駅舎は新潟交通らしい?みすぼらしい木造駅舎。今もこの姿を残しています。

    -1998.8.2



■月潟~曲

・堤防沿いを進みます。

   -1994.4.6   -1994.4.6      -1999.2.1 

・割とカーブがたくさん存在。

    -1994.4.6



■曲

・名前のとおり曲がりくねった線路の先にありました。ホームだけの寂しい駅。

   -1999.2.1



■曲~千日

・少しだけ畑の中を進む、数少ないところでした。

   -1999.2.1



■千日

・後から作られた駅はこうしたプレハブ風ホーム。

   -1999.2.1



■白根

・味のある白根駅。木造駅舎のコンクリート瓦が印象的。木造駅舎はいい被写体になりました。

      -1997.10.22     -1998.8.2    10 11 -1999.2.1      

・駅員は年を召された方が多く、なんとなくわびしい感じもありました。ただ、それが新潟交通の味でもありました。

   -1997.10.22      

・平日運転の白根どまりはここでクハ車を切り離しします。初老の駅員さんがホースはずしからポイント切り替えまでやってのけます。夕方にクハ車はまた連結され東関屋に戻ります。

        -1997.10.22      

・上記の冬。天候に関係なく列車は運転しますので、冬場はちょっとかわいそうです・・。

     -1999.2.1      

・白根止まりの折り返し列車。出発まで少々休憩。

   -1997.10.22      

・早朝の交換シーン。

       -1999.2.1      

・ラッシュ時は人が増えてきます。

      -1999.2.1      




■白根~味方

・朝の便の白根どまりは古豪のクハが先頭で運転されました。一世代前の光景が日常として残っていました。

   -1997.10.22      

・堤防隅を走ります。

    -1999.2.1      

・旧笹川家住宅の前を走る。

   -1997.10.22  -1999.2.1      

・一番高くオーバークロスするポイント。沿線の雰囲気がよくわかります。

   -1994.12.1     1998.8.2      

・冬は新潟らしい雪国の世界になります。

    -1998.2.1      

・旧小田急の筋にはM+Mの列車が運転されていました。

   -1999.2.1       




■味方

・かつては貨物扱いがあったのか側線跡がありました。

   -1994.12.1      

・堤防上から俯瞰。駅の割りに大きな駅舎を持っていました。

    -1997.10.22  2      

・古めかしい顔つきの列車がとても似合います。

    -1999.2.1  2      



■味方中学校前

・中学校のまん前にありました。1線1面の無人駅でした。

   -1997.10.22      



■味方中学校前~吉江

・有名なポイントだった古い酒屋さんとのショット。

    -1994.12.1  -1999.2.1      



■七穂

・なんともいえない風情ある交換駅。毎日こうしたチビ電車の交換が行われていたのでした。

    -1994.4.6      -1994.12.1      

・冬の七穂。

      -1999.2.1      



■七穂~板井

・堤防沿いをぐねぐねと。

   -1994.4.6   -1998.8.2      

・小さなRが結構あり、それがスピードダウンとなってしまいます。

     -1997.10.22      

・路地裏を列車は進みます。

   -1997.10.22      




■木場

・交換駅だった木場駅もまたなんともいえない風情あるところでした。

      -1997.10.22       10 11 12 -1998.8.2      

・冬はみんな寒そう。

       -1999.2.1      

・待合室にストーブが入ると雪国らしくなります。

    -1999.2.1      

・夜景もまたなかなか。

     -1997.10.22      



■木場~新大野

・堤防淵を進みます。

    -1997.10.22      

・平日に設定されていた木場行き列車。

    -1994.4.6      



■東青山~東関屋

・放水路鉄橋を行く。廃止後の線路部分は歩道に変わりました。

     -1998.8.2      



■東関屋

・1編成だけ色が違う旧小田急が入線。外観の見た目によりも車体はかなりくたびれていました。小さな車庫が地方鉄道らしい。

     -1997.4.1      

・ヤードのあちこちに古豪たちが・・・。

   -1997.4.1      

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