解説

* 名寄本線は、1989年春に廃止された全長143.0kmの路線です。名寄-遠軽138.1kmと中湧別-湧別4.9kmの支線で構成されてました。ちょうどこのとき標津線、天北線という長大路線がまとめて廃止となりました。もともと名寄本線は、本線とつくだけあって、興浜南線、渚滑線、湧網線が接続していましたが、どの線区も廃止されて現在はありません。

路線はオホーツク海側をメインに走り、海あり山あり畑ありと行った感じで、その車窓はオーソドックスな北海道らしい風景でした。使われていた車両は主にキハ22かキハ40で、日中は単行がメイン、朝夕に2~4両編成が走っていました。たまにキハ27の編成が混じることもありました。乗車率は紋別~遠軽はそこそこでしたが、興部~下川あたりは空気輸送といった感じでした。

この線でも天北線同様に途中の乗降場でふと降りたりしていました。雪の班渓駅で降りた時にはさすがに車掌さんに「なんかあったらすぐ傍に国道が走ってるから助けを求めなさい」といわれましたが、そこで撮った写真は今もお気に入りです。また、どの駅か忘れましたが、駅の近所の方に熱いお茶をもらったり、小向から紋別までヒッチハイクで乗せてもらったりといろんな方々の親切を受けたところです。

* この路線では、同じ時期に廃止された天北線や標津線と違って、廃止直前まで第3セクターでの存続を議論していました。名寄-下川と紋別-遠軽だけを会社設立して運営しようという話がかなり具体化してました。

しかし、全線通しでないと意味がないという存続対象外となった地域の声や、沿線市町村の財政負担の問題等で最終的には意見がわかれ、結局バスが整備されるなら鉄道は要らないだろうという結論で全廃が決定しました。

すでに沿線最大の都市、紋別からは札幌や旭川への直通高速バスがありましたし、本数のある路線バスのほうが便利なところもありましたので (中湧別-湧別は1日2往復しかなかった)、地元の人にとっては、鉄道がなくてもそう痛手にはならなかったのでしょう。でも、個人的にはもう少しがんばって存続してもらいたかったですね。

途中の北湧駅の近くには、春になるとチューリップが咲き乱れるところがあり、春になるとあそこで写真を何で撮らなかったんだろうと悔しくなります。今となってはもう無理ですが・・・

PHOTO GALLERY

■上興部

・列車交換でタブレット使用ということで常駐駅員がいました。下川~興部まではちょっと山深い過疎地域なので冬は駅員のいる駅という安心感がありました。

     -1989.3.19

■中興部

・このあたりはサミットということもありダイヤの制約を減らすべく交換駅が多く存在。ただ西興部や上興部と違って周りに集落がないさみしいところでした。

    -1989.3.19

■班渓

・仮乗降場から駅へ昇格したところですが、JR発足時には周辺集落は皆無となって単なる秘境駅となってました。途中下車しましたが待ち時間中に猛吹雪となって恐ろしかったです。

    -1989.3.19

■宇津~班渓

・班渓駅近くから撮影だったんですが3月とはいえかなり冷え込んでました。

   -1989.3.19

■豊野-沙留

・有名なオホーツク海と絡めて撮影できるポイント。沙流駅に近くていいんですが、本数が少なくて・・・

    -1989.3.14

■沙留

・ここは交換駅。町は小さめの集落で売店などはなかった記憶です。有人駅だったのでストーブがありがたかったな。

    -1988.11.2   -1989.3.19

■富丘

・元仮乗降場で待合室は線路をくぐる地下通路。オムシャリ沼の鉄橋で撮影したくて途中下車したところ。周りに何もないところでした。

   -1989.3.19

■富丘ー渚滑

・ここも有名な撮影スポットだったオムシャリ沼鉄橋。撮影後は富丘まで歩いて行く途中、地元の方に声かけていただき沙留まで送ってもらった思い出の地。ちょっと吹雪いてたのですごく助かったんですよね・・・

       -1989.3.19

■渚滑

・かつて渚滑線が分岐していたので立派な駅舎がありました。渚滑線廃止後はここでの列車交換がなくなりました。

   -1988.11.2

■潮見町

・紋別市内の街中にあって近くに高校もあったので割と利用者がいる元仮乗降場だったと思います。

   -1988.11.2

■紋別

・オホーツク海沿いでは最大の町で空港もあるも、名寄線廃止議論のときは長距離利用はすでに高速バスに負けており、地元完結での利用だけならコスト割高ってことで三セク化が果たせなかったんですよね、かなり大きな町なんだけど残念。

   -1988.11.2

■小向

・駅前は寂しくなってましたが交換列車があった駅。駅舎もしっかりしたのがありました。

    -1988.8.24

■弘道

・木製の待合室付き仮乗降場昇格駅。駅の周りは牧草地だけしかありませんでした。コムケ湖まで歩いていった記憶があります。

   -1988.8.24

■弘道-沼ノ上

・何かとここで撮影してました・・・ダイヤ上回数多く撮影できたからだったっけ?特別な撮影ポイントでもなかったところです。

   -1988.8.24     -1988.11.2
    -1989.3.11


■川西-中湧別

・撮影ポイントだった第三湧別川橋梁。ガーターの真ん中あたりが戦時中の金属不足で側板が網みたいになってるって話を聞いたことがありました。

   -1989.3.11

■中湧別

・湧網線と湧別支線の分岐駅でもあった中核駅。とはいえ、ローカル接続の小さな駅だったかな。

    -1989.3.11

■中湧別-北湧

・風車とチューリップを絡めて撮れる撮影ポイント。でも廃止直前の駆け込み撮影でチューリップはなく・・・

    -1989.3.11

■開盛

・国鉄時代は交換可能駅だった名残で腕木式信号機が残っていました。

    -1989.3.11

■開盛ー北遠軽

・廃止前に走っていた臨時列車の思い出お~い号。

   -1989.3.11

■遠軽

・0番線なんかがあったんだよなあ。

    -1989.3.19

■四号線

・湧別支線に1つだけあった途中駅。なんせ朝夕2往復しかなかったから途中下車もできなかった。

   -1989.3.11

■四号線-湧別

・夕方の1往復を撮るために俯瞰できる五鹿山公園に登って撮った1枚。でも天候が悪くてなんかわからん写真になってしまったんです。しんどかったんだけどなあ。

   -1989.3.14

■湧別

・たったの2往復だけとはいえ高校生の利用者が多数、駅舎もしっかりしたのがありました。

       -1988.8.24

◆おまけ:五鹿山公園保存車両

・公園内のキャンプ場エリアに旧型客車が置かれてました。まだあるのかな?

    -1989.3.14

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