宮田線は、現JR筑豊本線勝野駅から宮田町まで伸びる盲腸線で、もともと石炭輸送の需要による路線開業でした。同様の目的で作られた路線は他にも北九州にたくさんありましたが、エネルギー政策の転換で石炭から石油にエネルギー供給源が変わり、次々と鉱山は閉山、鉄道の役目もおのずと終えていくことになりました。
石炭輸送がなくなれば当然利益の糧は旅客輸送しかないのですが、廃坑でそこに働いた人々はその地から流出してしまうなどして地域経済がシュリンクし、結局は当てにしていたお客さんも消えてしまうという状況に陥ります。
宮田線の場合、さらに、平行して走る西鉄バスが毎時2~5本というダイヤで、この状況に列車はとても太刀打ちできませんでした。沿線住民は、冷房もなく1日10往復の列車よりも、快適で便利なバスを選ぶのは当然のことでした。
廃止直前の宮田付近は北九州のベットタウンとして宅地開発が進み、将来性を見越して存続運動が行われていましたが、盛り上がりにいまいち欠け、結局計画どおりに廃止されました。
写真はほとんどがスナップ写真がですが、懐かしく拝見していただければと思います。
想い出
18きっぷをつかって北九州の乗りつぶしで訪れたところです。2回乗車していますが、ほとんど記憶に残っていません。写真を見ても思い出さず・・・年月が経つとこうなってしまうんですね。
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