解説

北海道江差線と海峡線の分岐駅である木古内から松前までを結ぶ路線で、全長50.8kmとそれなりの距離がある鉄道でした。もともと戦中マンガン鉱採掘のための路線として開発された路線で、戦後1953年に松前までが完成した比較的新しい路線でした。

国鉄赤字路線整理時に二次廃止対象路線になりましたが、赤字路線とはいえ現存する江差線木古内~江差のほうが閑散としており、廃止については賛否両論となっていました。終点の松前は江戸時代に「松前藩」があった城下町で、それなりに大きな町だったのですが、第三セクターにまでしなくても津軽海峡線ができるなら・・ということで、結局はバス転換となってしまいました。

途中、千軒と渡島吉岡に交換設備があり、車両も1~3両での運転が行われていました。函館~松前までの直通運転が主で、江差線列車と木古内で増解結する列車が多かったです。以前には急行「松前」号も運転されていました。

JRになってからは廃止がすでに決まっており、JR北海道発足後わずか10ヶ月での廃止となりました。



想い出

道南地区は18キップ訪問だと青函連絡船が寝床に使えたことから、この松前線も2回訪問しています。松前駅手前の松前城をバックに撮影できるところがあったのですが、撮影する機会がなく、惜しいことをしてしまいました。

このころは駅のスタンプ集めに凝っていたこともあって写真をあまり撮っていません。写真はカネがかかるので節約していたのですが当時の写真を眺めていると、「あの時デジカメがあったならなあ・・」と思うこともしばしばです。

PHOTO GALLERY

■木古内

・すでにこの頃海峡線の工事はほぼ一段落してました。たいていの列車はここ木古内で松前行きと江差行きの分割をしてました。もうなくなった写真のくつろぎなどの団臨は通常運行の普通車にお尻につけたりして運転されてました。

   -1987.9.1

■千軒

・交換設備は渡島吉岡にもありました。タブレット交換を写そうとしてましたが、それ以前に露出失敗。。ですね。

    -1987.9.1

■松前

・それなりの立派な駅舎がありました。なんとなく江差駅にも似てたような気もします。機回し用の側線があるだけのシンプルな終着駅らしい駅でした。

   -1985.3.10   -1987.9.1


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