倉吉線は現在の山陰本線倉吉駅から南へ分岐していた路線で、倉吉旧市街を通って山守という小さな集落まで伸びる路線でした。
当時は山陰と言えば今は現存しない旧型客車の宝庫で、この倉吉線にも何本か設定されてました。客車は関金までの運転で、山守-関金間は気動車で倉吉からの通し運転と区間運転がありました。当時の時刻表を引っ張り出して見てみると上下あわせて区間運転含む27本の筋が設定されてました。
もともと姫新線中国勝山まで路線延長の計画があったそうです。ただ開業していても三江線のような状況になって存廃問題で揺れることになったんでしょう。
思い出
倉吉線をはじめて訪れたのは高3のころだったでしょうか。当時は「青春18のびのびきっぷ(現青春18きっぷ)」を使って、国鉄全線乗りつぶしなるものをチャレンジしてました。受験勉強に嫌気がさしていた私は、のびのびきっぷ発売時期には、旅仲間といっしょに必ず旅行に出かけたものです。私とその友人たちは発売当初から毎回買って旅行していましたが発売当初よく車内検札で「何、この切符?」といわれたものでした。
ここを訪れるきっかけは、倉吉線が廃止対象路線になっていたため。乗り潰しで訪ずれましたが、当時、18切符を使ってこの路線に乗るのに苦労しました。山陰線には鈍行の夜行「山陰号」があったので、無理矢理駅寝することなかったのですが、この線に乗ると他路線がうまく乗り継げなくなるという厄介な線だったと覚えています。
終点の山守駅は売店も集落もない何もないところで、到着した列車もすぐに折り返します。当然車両もがらがらで、関金から先の末端区間が赤字の最大要因だろうなという感じでした。実際、関金-倉吉間は結構お客さんが乗っていて、なんでこれ廃止するねん?といった感じでした。途中の打吹駅もしっかりした駅で倉吉市の中心街にあるので残せばいいのにと思った記憶があります。
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