解説

鍛冶屋線は現在の加古川線西脇市駅から北へ伸びていた路線で、途中、西脇市街、中町市街を経て終点の鍛治屋までを結んでいました。

当時現在の「西脇市」駅は「野村」駅と名乗り、西脇市の玄関駅は野村駅の次の鍛冶屋線上にあった西脇駅で、駅前もちょっとした商店街などがありました。加古川線の運転系統もここ西脇発着の列車が大半で、加古川と鍛冶屋直通列車も運行。西脇発野村経由谷川行きもあって、別線区というよりも加古川線本線のような位置づけでした。

かえって都市間輸送のあまりない野村(現西脇市)~谷川の区間のほうが閑散路線で、鍛冶屋線廃止の議論の際には、乗客の少ない野村~谷川をまず存廃協議すべきでは?という声が結構ありました。

また、沿線の赤字路線の北条線、三木線が第3セクター鉄道として存続した(三木鉄道はその後廃止)ため、鍛冶屋線も第3セクターでと言う声もありました。しかし、存続第三セクターの経営が芳しくなく、負債増大におびえた沿線自治体が消極的態度を取ってしまい存続議論に赤信号がともります。

そうこうしているうちに乗客のマイカーシフトは進んでいきます。夏場で冷房のない小汚いディーゼルカーにはやっぱ乗りたいとは思わないでしょう。野村~西脇だけは残すなどいろんな議論はありましたが、結局全線のバス転換に決定。90年春に廃止となりました。

現在廃線跡は一部路盤が残っているところもありますが、自転車道路になったところ以外はわかりにくくなっています。終点鍛冶屋は鉄道資料館となっていますが、当時の風景はまったくなく、キハ30が1両残ってかつてここに鉄道が走っていたというシンボルになっています。

また、旧市原駅も記念館となっており、キハ30が静態保存されています。状態は鍛冶屋よりこちらのほうがいいようです。


思い出

当時近場にあったにも関わらず、加古川線=汚くて遅い気動車が効率悪く走ってる というイメージがあって、廃止直前に行ったっきり。キハ30・35がロングシートでクッションも悪く、1時間ちょっとも乗りっぱなしというのも嫌でしたね。

加古川線は今は電車化されて大変貌を遂げ、当時の面影は駅などに少し残るだけになりました。かえっておんぼろ車両がまだ活躍する神戸電鉄のほうがイモくさくなりました。

PHOTO GALLERY

■野村

・向かって右端は谷川方面列車。加古川線の大半の列車は西脇発着だったので、廃止は違和感がありましたね。

     -1990.3.31


■西脇

・駅舎は少し変わった雰囲気のコンクリート造りでした。客待ちタクシーも居て、ちょっとした地方駅という感じでした。

   -1990.3.31

・構内は交換可能な上、側線もあり、割と広めでした。留置線もありましたね。

     -1990.3.31


・鍛冶屋からの列車に増結。西脇駅ではこうした増解結も行われたり、西脇発野村経由での谷川方面列車なんかもありました。

      -1990.3.31

・タブレットや腕木式信号機も最後まで残りました。

   -1990.3.31


・こんなサボももう遺物になってしまいましたね。

   -1990.3.31


・最終日だったので大変な人出でした。

   -1990.3.31




◇鍛冶屋線記念館

・当時の雰囲気はなくなってしまっています。その後キハ30も手入れされているのでしょうか。

     -1999.9.12

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